そこで方谷は、藩校の有終館を拡張したり、領内に「学問所(がくもんじょ)」や「教諭所(きょうゆじょ)」を設けたりしたほか、郷学(ごうがく、藩士の教育や庶民の教育のために各地に設けられた学校のこと)や私塾あるいは寺子屋を次々と設置したことで、教育の施設の充実ぶりは他藩をはるかにしのぐようになりました。
方谷は藩士以外の領民の教育に力を注いだだけでなく、特に成績優秀な者は農民や商人出身でも藩士へ取り立てたことで、子弟はすべて向学心に燃え、藩の教育水準が向上するとともに、方谷の財政改革への理解度も高まりました。
こうした思い切った教育改革も、方谷自身が農商の出身でありながら、元締役と吟味役を兼任するまでに出世したという経験が下地(したじ)にあったからに間違いありません。
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