だからこそ浜口内閣は金解禁を断行したのですが、当時はアメリカの大不況によって我が国の輸出額は激減していました。不況にあえぐ国が他国からモノを買う余裕などなかったのです。このため、売れなくなった生糸や繭(まゆ)の価格が大暴落し、養蚕(ようさん)農家が大きな打撃を受けました。
さらに我が国に深刻な影響をもたらしたのが「正貨(=金貨)の大量の海外流出」でした。世界恐慌の嵐が吹き荒れる中では各国の正貨の保有が死活問題となりますが、そんな折に我が国が金解禁をしたものですから、世界各国が日本からの金の輸入に殺到し、我が国の金の保有量があっという間に減少してしまったのです。
加えて、金解禁をめざしていた浜口内閣が緊縮財政を行っていたことが不況をさらに拡大させました。景気が悪化した際には、現代の「アベノミクス」のような積極的な経済政策が求められているにもかかわらず、その真逆を行ったことにより、全国各地で企業の倒産や操業短縮が相次いで多数の失業者があふれるようになり、結果として「昭和恐慌」と呼ばれた甚大な恐慌に陥(おちい)ってしまいました。
なお、政府は恐慌への対策として昭和6(1931)年に「重要産業統制法」を制定し、指定産業におけるカルテル(=寡占状態にある同一業種の企業が競争を避けて利益を確保するために価格や生産量・販路などについて結ぶ協定のこと)の結成を促進し、生産と価格の制限を設けようとしています。
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