ところが、1914(大正3)年に第一次世界大戦が始まると、我が国を含む各国が流出を防ぐ目的で金の輸出入を禁止したため、金本位制は一時停止されました。大戦後に世界各国が相次いで金本位制に復帰しましたが、その中で我が国だけが関東大震災や金融恐慌(きょうこう)といった混乱が続いたために遅れていたのです。
昭和4(1929)年7月に成立した立憲民政党の浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣は、大蔵大臣に井上準之助(いのうえじゅんのすけ)を起用し、金の輸出入を解禁して(これを「金解禁」といいます)、列強と同じく金本位制に早期に復帰することを大きな目標としました。
金本位制では、貿易赤字が続くとその分だけ通貨(=金貨)が海外に流出して、国内の通貨量が減ると同時にモノの売り上げも落ち込むため、困った国内企業が経営合理化によってモノの値段を下げることで、結果として国内外で再び売り上げが伸びるようになるという経済上での大きな特徴がありました。
我が国が金本位制に復帰すれば世界における円の為替相場も安定するため、経営合理化によって輸出を拡大して国内産業を活性化させると同時に、企業の国際競争力を確保することで、不況が続く日本経済を立て直すことが可能になるであろうと浜口内閣は考えていたのです。
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