恐慌を起こした政権の責任はともかくとして、金融政策は本来であれば一刻も早く実施しなければならないものです。しかし、現実には野党の立憲政友会が「政争の具」として枢密院に「待った」をかけさせたことで、政策の実現が遅れただけでなく、台湾銀行も休業に追い込まれてしまいました。
また、枢密院は第一次若槻内閣の失政の一つとして「幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相による協調外交の失敗」を非難していますが、外交問題を国内の政争に利用するという姿勢にも疑問符を付けざるを得ないのではないでしょうか。
いずれにせよ、政争のためには「何でもあり」という当時の政党の手法が、後述する「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)」の問題を引き起こし、我が国を苦境へと追い込むことになったのは間違いないでしょう。
もっとも、政権交代で高橋是清が大蔵大臣になったからこそ金融恐慌が早く収拾できたともいえますし、また第一次若槻内閣の幣原外相から田中義一内閣に代わったことで、それまでの協調外交の姿勢が改まった(詳しくはいずれ後述します)というメリットがあったのも事実ではあります。
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