清浦がこの時期に超然内閣を組織したのは、衆議院の任期満了が数か月後に迫っており、選挙管理内閣として中立性を求められたために貴族院議員を中心とせざるを得なかったという側面もありました。
しかし、立憲政友会・憲政会・革新倶楽部のいわゆる「護憲三派」は清浦内閣に反発するかたちで憲政擁護運動を展開しました。これは、今日では「第二次護憲運動」と呼ばれています。
清浦内閣は立憲政友会の脱党者で組織された政友本党を味方につけて総選挙に臨みましたが、結果は護憲三派の圧勝に終わり、清浦内閣は総辞職しました。
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