なぜなら、先述したように、ヨーロッパ本土で多くの血を流して共に戦ったアメリカと山東半島や地中海など限定的な戦闘に留まった我が国とでは、他の主要な連合国であるイギリスやフランスの感謝度が全く違ったからです。
かくして、講和会議はアメリカ・イギリス・フランスを中心に行われただけでなく、アメリカは自国の立場を利用して、会議にオブザーバーとして参加した中華民国の発言権を認めました。
会議において、中華民国はドイツの旧権益を我が国を通さずに直接返還することを申し出るなど強気な発言を繰り返し、最終的にヴェルサイユ条約の調印を拒否したほか、チャイナの国内における排日活動もアメリカの支持を得て激しくなっていきました。
また、先述した十四か条の平和原則に基づいて、国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関として1920(大正9)年に「国際連盟」が設立されましたが、連盟で行われた会議において、日米両国がまたしても激しく対立することになったのです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
会議の結果、同年6月にドイツと連合国との間で講和条約が結ばれましたが、ドイツは全植民地を失ったほか、本国領土の一部を割譲(かつじょう)させられたのみならず、軍事を制限されたうえに多額の賠償金が課せられることになりました。なお、この講和条約は「ヴェルサイユ条約」と呼ばれており、また、条約に基づく新たなヨーロッパの国際秩序を「ヴェルサイユ体制」といいます。
ヴェルサイユ条約によって、我が国は山東半島におけるドイツの権益を譲り受けたほか、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得ました。なお、このときに我が国が委任統治した島々の一つに現在の「パラオ共和国」があります。
パリ講和会議は敗戦国となったドイツにとって非常に厳しい内容となりましたが、実は我が国にとっても権益など得るものが多かった一方で、国際的に苦しい立場に追い込まれることになったというもう一つの事実があり、またそうなった原因をつくったのがアメリカとチャイナ(=中華民国)でした。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
また、この頃までに立憲政友会に関係した汚職事件が続発したことで、野党や国民の間で原内閣に対する反発が強まるとともに、腐敗をもたらした政党政治への不信感も高まりました。
大正10(1921)年11月、原敬は関西での遊説(ゆうぜい)のために東京駅に到着した直後に一青年によって刺殺されてしまいました。
高い政治力を誇っていた原内閣が突然崩壊した影響は大きく、後継として高橋是清(たかはしこれきよ)が首相に選ばれたものの短命に終わり、以後しばらくの間は非政党内閣が続くことになるのです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
しかし、憲政会などの野党が主張した納税による制限を設けない普通選挙法案に関しては「時期尚早(しょうそう)」と拒否し、衆議院を解散しました。
原が普通選挙を拒否した理由としては、野党側からの要求という政争問題もありましたが、大正9(1920)年に起きた普通選挙を要求した数万人の大示威行動(=デモンストレーションのこと)の中心者に社会主義者が含まれていたことで、普通選挙の実施が社会主義者や共産主義者らによる階級闘争に利用されることを警戒したという説があります。
選挙において、原内閣は折からの「大戦景気」を背景として、先述した鉄道拡張計画や高等学校の増設といったいわゆる積極政策を掲げて圧勝し、立憲政友会は衆議院で絶対多数を得ました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
指名を受けた原は、陸・海軍大臣と外務大臣以外のすべての閣僚を政友会員で固めるなど、我が国初めての本格的な政党内閣を組織しました。また原自身が歴代の首相と異なり、爵位(しゃくい)を持つ華族でもなければ、藩閥出身者でもない平民であったため、当時の国民から「平民宰相」と呼ばれて歓迎されました。
原内閣は様々な政策を行いましたが、政党の影響力を強めるのに特に効果的だったのは、大正10(1921)年に郡制を廃止したことでした。当時の郡は単なる行政の区分単位ではなく、郡長や郡役所・郡会が存在していましたが、郡長が政府の内務官僚であったため、藩閥政府の影響力が郡自体にまで及んでいたのです。
また、原は経済発展のために鉄道を積極的に拡張しましたが、なかでも地方への鉄道の敷設(ふせつ)に重点を置いたことによって、郡制の廃止とともに政党の影響力を地方にまで幅広く拡大させることに成功しましたが、こうした卓越した政治力が原内閣の大きな強みでもありました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
「対面式のライブ講習会」の実施に際して、以下の措置にご理解ご協力いただきますようお願いします。なお、状況の変化により取り扱いを随時変更させていただく場合がございますのでご留意ください。
①会場入り口に備え付けてある『消毒用アルコール』で手指を消毒してください。
②受講中は『マスク』着用を必須とします。
③『咳エチケット』をお守りください。
④風邪症状がある場合等は受講を慎重にご判断ください。咳・発熱などの一般的な風邪症状がある場合には、受講をお控えいただくようお願いいたします。
令和3(2021)年1月の黒田裕樹による講演は、別添の「第82回黒田裕樹の歴史講座」の他に、以下の内容で実施します。WEB会議(ZOOM)システムによるオンライン式講習会のお申し込み方法の詳細は追記に掲載しておりますので、ご参照ください。
また、準備の都合上、オンライン式の講座のお申し込みはそれぞれ3日前の正午(午後0時)まで、対面式のライブ講習会のお申し込みはそれぞれ前日の正午(午後0時)までとなりますのでご注意ください。
黒田裕樹の日本史道場「日本文明の誕生」
歴史の授業で最初に学ぶのは「世界四大文明」ですが、実は日本列島は古来より「日本文明」ともいうべき、世界各国とは異なる独自の文明を築き上げてきた特別の地域だったことをご存じでしょうか。最新の研究から明らかになった古代に関する「我が国のほんとうの歴史」について、神話と考古学の両面から黒田節で分かりやすく解説します。ご期待ください!
主催:株式会社スペック
日時:令和3年1月10日(日) 午前10時~午後1時
会場:シアターSPEC(株式会社スペック)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
※会場は「太融寺」交差点角の太融寺の隣、茶色いレンガ模様の9階建てのビルの8階です。1階に大阪商工信用金庫があります。ホワイティうめだの「泉の広場」M14出口を左側から出て、扇町通沿いに真っ直ぐ歩いてください。
参加費:金2,500円(税込)
※オンライン式講習会のお申し込みにおいて、レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金3,000円(税込)になります
オンライン式講習会のお申し込み締め切り:1月7日の正午(午後0時)まで
対面式のライブ講習会のお申し込み締め切り:1月9日の正午(午後0時)まで
黒田裕樹の東京歴史塾「大正時代 その2」
「大正時代」の2回目は「ワシントン会議とアメリカの野望」「第一次国共合作と幣原外交の挫折」「大戦景気と戦後恐慌・関東大震災」「社会運動の展開」「大衆文化の広がり・学問と教育の発展」「文学と芸術の動き」の6つを中心に、ワシントン体制以後に複雑化する国際関係や、大戦景気から恐慌並びに大震災によって激変する国内情勢などについて、黒田節が大正後期の大きな歴史の流れを紐解きます。ご期待ください!
主催:株式会社スペック
日時:令和3年1月17日(日) 午後7時30分~午後9時30分
会場:クリエイト紀尾井町セミナールーム(会場は6階です)
参加費:金3,000円(税込)
※オンライン式講習会のお申し込みにおいて、レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金3,500円(税込)になります
オンライン式講習会のお申し込み締め切り:1月14日の正午(午後0時)まで
対面式のライブ講習会のお申し込み締め切り:1月16日の正午(午後0時)まで
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
①まずはこちらのURLから「お申し込み」をクリックしてください。
https://rekishidojo.com/
②講座申込フォームに必要事項を記載のうえ、送信してください。折り返し、ご指定のメールアドレスに事務局からの案内メールが届きますので、それをご参照のうえ、24時間以内にPayPalまたは銀行振込で参加費をお支払いください。
③講座当日に使用するレジュメは、ご入金確認後にレジュメデータ(PDF)をメールにてお送りさせていただきます。なお、ご入金の確認が取れない方につきましては、キャンセル扱いとなりますのでご注意ください。
<当日ご準備いただくもの>
①カメラ&マイク機能搭載のパソコン
※スマートフォンのアプリからもご使用いただけますが、画質・音質に不具合が生じる可能性があります。スマートフォン以外のパソコンを使用されることを推奨いたします。
②歴史講座レジュメ
※レジュメにつきましては、ご入金後にメールにてレジュメデータ(PDF)をお送りさせていただきます。なお、レジュメの事前の郵送も承りますが、先述のとおり参加費が金500円追加となります。
<ZOOMの招待状について>
ZOOMでご参加いただくためには、事務局よりお送りさせていただく『招待状』よりご入室していただく必要があります。招待状につきましては、講座前日の午後4時以降にお送りします。
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記の事務局にまでお問合せください。
<お問い合わせ先>
〒530-0051
大阪府大阪市北区太融寺町5-15梅田イーストビル8階
電話:050-3530-8995
メール:theaterspec@specgroup.jp
黒田裕樹の歴史講座事務局(株式会社スペック内)
追記を閉じる▲
米騒動のうち、京都や神戸などで起きた暴動が大規模になったことで、政府は鎮圧に軍隊を出さざるを得なくなったり、騒動の余波を受けて兵庫県で行う予定だった第4回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)が中止になったりしました。
寺内内閣は米を安く売るなどして事態の鎮静化をはかりましたが、首相自身の体調悪化もあり、騒動の責任を取るかたちで同年9月に総辞職しました。
なお、寺内自身が当時流行だったビリケン人形に似ていたことや、超然内閣で非立憲(ひりっけん)主義だったことに引っ掛けるかたちで、寺内内閣や寺内本人が、当時は「ビリケン内閣」「ビリケン宰相(さいしょう)」と呼ばれていました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
このため、野党となった立憲同志会(後に憲政会を結成)などの反発を受けましたが、翌大正6(1917)年の衆議院総選挙で第一党となった立憲政友会が準与党的立場を維持しました。
軍閥割拠となった中国大陸における影響力の拡大を目指した寺内内閣は、袁世凱(えんせいがい)の後継となった段祺瑞(だんきずい)政権に対して先述のとおり多額の借款(しゃっかん)を行いましたが(=西原借款)、その大半が焦(こ)げ付いたり、あるいは他の軍閥(ぐんばつ)の反感を買って排日運動の活性化をもたらしたりするなどして失敗に終わりました。
大正7(1918)年、寺内内閣はアメリカの要請もあって当初は消極的だったシベリア出兵を決断しましたが、第一次世界大戦中ということでただでさえ諸物価が値上がりしている中において、大規模な出兵を当て込んだ米の投機的な買い占めや売り惜しみが横行したことにより、米価は天井知らずの高騰(こうとう)を続けました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
改革の多くは農村の復興を主な目的として、新田を開発して年貢収入の増加を図ったり、地方の特産物の生産を奨励して藩の専売制としたりしました。また、各地で藩校を創設して、新たな人材を積極的に育成しました。
改革に成功した各藩主は名君として評判を集めることになりました。肥後(ひご、現在の熊本県)の細川重賢(ほそかわしげたか)や、秋田の佐竹義和(さたけよしまさ)、あるいは米沢(よねざわ)の上杉治憲(うえすぎはるのり、別名を鷹山=ようざん)らの名前を挙げることが出来ます。
特に上杉治憲は、破綻寸前であった米沢藩の財政を立て直したことでその名が広く知られており、藩主の座を後継者に譲った際の伝国(でんこく)の辞や、その際に贈ったとされる「生(な)せば生(な)る 成(な)さねば生(な)らぬ 何事(なにごと)も 生(な)らぬは人の 生(な)さぬ生(なり)けり」という歌が有名です。
なお、治憲の歌は「何事もやればできるし、やらなければ何も始まらない。何もできないのは自分がやらないからである」という意味です。必死になってやれば出来ないことは何もない、ということですね。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
また、江戸近辺の関東の農村は、もともと所領が複雑に入り組んでおり、無宿人や博徒(ばくと)がはびこって治安が悪化しました。このため、家斉は文化2(1805)年に関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく、または「でやく」)を新設して、江戸周辺の警察機能を強化しました。
さらに文政(ぶんせい)10(1827)年には、幕府の直轄地や私領あるいは寺社領を問わずに数十か所の村々を組み合わせた寄場(よせば)組合を編成させて、農村の秩序を維持するとともに地域の治安や風俗への対策を行いました。
なお、関東取締出役は関東の八つの国、すなわち八州(はっしゅう)をくまなく巡察したことから別名を「八州廻(まわ)り」とも呼ばれており、その活躍ぶりが現代においても時代小説の題材としてよく取り上げられています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。