一方、哲学のアメリカ人教師として来日した「お雇い外国人」のフェノロサは、我が国の伝統芸術を高く評価してその保存を訴え、助手の岡倉天心(おかくらてんしん)とともに、明治20(1887)年に開設された東京美術学校の設立に尽力しました。
このように、政府と民間とが一体となって伝統芸術を支えたことにより、狩野芳崖(かのうほうがい)の「悲母観音(ひぼかんのん)」や橋本雅邦(はしもとがほう)の「竜虎図(りゅうこず)」などの優れた日本画が描かれたほか、明治31(1898)年には日本美術院が設立されました。
日本美術の再評価の気運が高まったことで、政府は明治30(1897)年に古社寺(こしゃじ)保存法を制定し、いわゆる国宝の指定や保護に関する法的な根拠が定められました。なお、東京美術学校は、現在の東京芸術大学の前身にあたります。
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