つまり、長い江戸時代の中で新田開発や農業技術の進歩によってコメの収穫量が大きく増えたとしても、昔の収穫高を基準にして年貢率を決めているのですから、農民にとってこれほど「おいしい」話はありませんし、これとは別に商品作物を栽培して、そこからの利益もあったのですから、経済的に余裕があったと考えた方が自然なのです。
もちろん、農作物は環境に左右されますから、飢饉が起きた際には餓死者(がししゃ)も出ますし、それまでの低い年貢率がいきなり高くなれば、不満を持った農民が一揆(いっき)を起こすこともありました。
しかし、地方の藩で農民が一揆を起こせば、幕府に「お取りつぶし」の材料を提供してしまうことになるため、多くの藩は、一揆を起こされないように普段から農民との妥協(だきょう)を心掛けていたのも事実なのです。
歴史に関する研究は、真実の姿が明らかになることによって変化することも十分考えられます。これまで私たちが当たり前と思っていた、いわゆる「貧農(ひんのう)史観」を見直すことで、新たな発見を知る喜びを私たちは分かち合うことができるのです。
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