また、陸羯南(くがかつなん)は新聞「日本」を発行し、政府による安易な欧化主義や外国人判事の任用など、欧米に妥協的な条約改正の交渉を批判しましたが、これらの考えは、対外的には欧米列強に対する我が国の独立を、対内的には国民的自由の確立を主張したものであり、国民主義と呼ばれました。
ちなみに、歴史教科書によっては徳富蘇峰らを平民的欧化主義、三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛・陸羯南らを近代的民族主義と定義しています。
この他、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は雑誌「太陽」で日本主義を唱え、我が国古来の伝統・文化・精神を重視して、国家の繁栄を目指すべきであると主張しましたが、こうしたナショナリズムは明治中期における思想界の主流となりました。
なお、杉浦重剛は皇太子時代の昭和天皇に倫理のご進講を行ったことでも知られています。また、陸羯南は正岡子規(まさおかしき)を育てたことで有名です。
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