その後、日露の対立が深まり戦争の可能性が高まると、黒岩涙香(くろいわるいこう)が発行していた新聞「萬朝報(よろずちょうほう)」が、内村鑑三(うちむらかんぞう)や幸徳秋水、堺利彦(さかいとしひこ)といったキリスト教徒や社会主義者に執筆させて非戦論を唱えました。
しかし、後に黒岩が主戦論に転じたことで非戦論を唱えていた人々が退社すると、堺や幸徳ら社会主義者を中心として明治36(1903)年に平民社を結成し、平民新聞を発刊して非戦論を引き続き展開しました。
平民新聞は日露戦争中も非戦論を唱え続けましたが、政府はこれらの動きを当初は放置していました。しかし、マルクスとエンゲルスによって書かれた「共産党宣言」の翻訳(ほんやく)を掲載(けいさい)すると、平民新聞は発禁処分となり、平民社が解散させられるとともに幸徳自身も懲役刑に処せられました。
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