しかし、その材料となる鉄鋼は輸入に頼っており、19世紀後半の厳しい帝国主義の世界においては、武器の製造や造船業といった国家の諸産業にとって最重要となる鉄鋼の国産化、すなわち製鉄業を我が国のものとすることは喫緊(きっきん、差しせまって重要なこと)の課題でした。
このため、政府は日清戦争で得た賠償金を費用の一部として官営の八幡(やはた)製鉄所の建設を明治30(1897)年に始め、明治34(1901)年に操業を開始しました。
技術的な苦難を乗り越えた八幡製鉄所は日露戦争後に生産が軌道に乗り、やがて我が国の鉄鋼業の中核として成長しました。また、日露戦争の前後から我が国では重工業部門の産業革命が進行して、日本製鋼所などの民間の製鋼会社も設立されました。
なお、この頃までに我が国の造船技術も世界レベルにまで成長したほか、工作機械においても池貝(いけがい)鉄工所が優れた旋盤(せんばん)の国産化に成功し、また水力発電が本格化したことで電力事業も始まり、大都市で電灯が普及するようになりました。
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