そんな折に、清盛率いる平氏が政治の実権を握ることに成功したことで、自分たちと同じ武士である平氏であれば、必ずや「武士のための政治」を実現してくれるに違いない、と全国の武士たちが期待したのです。
ところが、祖父の平正盛(たいらのまさもり)の代から皇室や貴族と接することの多かった清盛には「武士のための政治」がどのようなものであるかが理解できませんでした。明確なビジョンを持っていなかったゆえに、清盛は摂関家と同じやり方で政治を行う以外に手段がなかったのですが、結果的にこれが大失敗でした。
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なぜなら、平氏が摂関家の真似をしただけでは、武士たちの立場に全く変化がなかったからです。人間というものは期待が大きければ大きいほど、裏切られた場合の怒りが大きくなるものですが、この頃の武士たちも例外ではなく、平氏への期待が大きかっただけに「同じ武士なのに、なぜ俺たちの思いが分からないのか」と余計に不満を持つようになりました。