教育ニ関スル勅語(教育勅語)
朕(ちん)惟(おも)フニ我ガ皇祖皇宗(こうそこうそう、天照大神と歴代の天皇のこと)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ此(こ)レ我ガ国体(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)亦(また)実(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ夫婦相和(あいわ)シ朋友(ほうゆう)相信(あいしん)ジ恭倹(きょうけん、他人に対して慎み深く控え目に振る舞うこと)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛衆(しゅう)ニ及ボシ学ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習ヒ以(もっ)テ智能ヲ啓発シ徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進(すすん)デ公益(こうえき)ヲ広メ世務(せいむ)ヲ開キ、常(つね)ニ國憲(こくけん、憲法のこと)ヲ重(おもん)ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ以(もっ)テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
是(かく)ノ如(ごと)キハ独(ひと)リ朕(ちん)ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以(もっ)テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい、ここでは国内と国外のこと)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう、心に刻み込んで片時も忘れることなく)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。
明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
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平成29(2017)年3月14日に、松野博一(まつのひろかず)文部科学大臣(当時)が、記者会見において「憲法や教育基本法に反しないような配慮があって、教材として教育勅語を用いることは、そのことをもって問題とはしない」と明言しているように、教育勅語そのものは、国会の決議とは無関係に今もなお「有効」なのです。
占領下という異常な事態において、GHQによって無理やり「排除・失効」させられたという現実を考えれば、独立を回復してから65年以上も経つ現在において、国会で排除・失効決議を「無効化」して教育勅語を「復活」させ、勅語が再び私たちの日常生活に欠かせない存在となることに何の問題があるというのでしょうか。
なお、教育勅語が発せられた直後の明治24(1891)年に、勅語の親署(しんしょ、天皇のご署名のこと)に最敬礼をしなかった内村鑑三(うちむらかんぞう)が各方面から非難を浴びた「内村鑑三不敬事件」が起きていますが、これは内村がキリスト教徒であったことから、信教の自由の観点で宗教的儀礼である最敬礼への拒否も認められると判断したからではないか、という説もあります。
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ところで、昭和に入ってから勅語の文章中の「天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)」や「億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ」などの部分が、軍部を中心に特に強調されるようになりましたが、これは勅語本来の精神とは全く別の問題であると解釈できます。
なぜなら、勅語が発せられた明治23(1890)年といえば、国民の間でもようやく「幕府や藩への忠誠心」から「国家への忠誠心」へと明らかに変化した時期であり、それを踏まえたうえで「これからは国の元首たる天皇の下で国家の繁栄のために力を尽くしなさい」という意味が、勅語において伝統的で古風な手法で述べられているからです。
それにしても、教育勅語が我が国のために果たした役割の大きさを実感すればするほど、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)からの強制的な指示によって、昭和23(1948)年6月に衆議院・参議院の両院で教育勅語の「排除」及び「失効」が決議されてしまったことが残念でなりません。
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また、当時の教育界も、道徳教育の基礎を何に置くかという根本的な問題について一致した見解を持っていなかったため、我が国伝統の倫理や道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。
この事態を重く受け止められた明治天皇は、井上毅(いのうえこわし)と元田永孚(もとだながさね)に起草させ、天皇ご自身も熱心にお考えを示されたうえで、明治23(1890)年10月30日に「教育ニ関スル勅語(ちょくご)」(通称:教育勅語)を発せられました。
教育勅語には我が国の伝統的な国家観と人倫道徳とが融合した「国民道徳」が分かりやすい文章で書かれており、また孝行・友愛・夫婦の和・朋友(ほうゆう、友人のこと)の信・謙遜(けんそん)・博愛・修学習業(しゅうがくしゅうぎょう)・智能啓発(ちのうけいはつ)・徳器成就(とくきじょうじゅ、人格向上に努めること)・公益世務(こうえきせいむ、世の人々や社会のためになる仕事に励むこと)・遵法(じゅんぽう、法律を守ること)・義勇の12の徳目(とくもく、道徳の基本の意味)を、天皇お自らが国民とともに実践されようとするお考えが示されていました。
なお、教育勅語は明治天皇が親しく国民に発せられたお言葉として御名(ぎょめい、公文書における天皇ご自身による署名のこと)だけが記され、国務大臣の署名は副署されませんでした。
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また、教育費を国庫で補助したり、明治33(1900)年に義務教育期間の授業料を廃止したりするなどの政策にも大きな効果がありました。
それに加え、日清・日露両戦争を経て国民教育の重要性が再認識された(日露戦争での我が国の勝因は国民の教育水準の高さにあると海外からの指摘もありました)ことで、明治40(1907)年には義務教育が6年に延長され、就学率は98%にまで達しました。
この他、明治36(1903)年に小学校の教科書を、それまでの検定制から国定教科書制度に変更しましたが、これは検定制の下で教科書採用における数々の不正があったことが主な原因です。
なお、義務教育制度とともに高等教育機関の拡充も進み、官立の東京・京都・東北・九州の各帝国大学が創設されました。
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「対面式のライブ講習会」の実施に際して、以下の措置にご理解ご協力いただきますようお願いします。なお、状況の変化により取り扱いを随時変更させていただく場合がございますのでご留意ください。
①会場入り口に備え付けてある『消毒用アルコール』で手指を消毒してください。
②受講中は『マスク』着用を必須とします。
③『咳エチケット』をお守りください。
④風邪症状がある場合等は受講を慎重にご判断ください。咳・発熱などの一般的な風邪症状がある場合には、受講をお控えいただくようお願いいたします。
オンライン式講習会のお申し込み方法の詳細は追記に掲載しておりますので、ご参照ください。また、準備の都合上、オンライン式の講座のお申し込みは3日前(7月23日)の正午(午後0時)までとなりますのでご注意ください。対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です。
黒田裕樹の歴史講座では、今回から5回にわたって江戸時代全体を振り返ります。1回目は「江戸幕府の成立」と題して、豊臣家の滅亡から幕藩体制の成立あるいは江戸初期の外交などを中心に、江戸時代初期の総合的な内容をいつもの黒田節で分かりやすく紹介します。ご期待ください!

(クリックで拡大されます)
第79回黒田裕樹の歴史講座
「江戸時代その1 ~江戸幕府の成立~」
主催:株式会社スペック・正しい歴史を伝える会
後援:授業づくりJAPAN・新聞アイデンティティ
日時:令和2年7月26日(日) 午後2時より
会場:シアターSPEC(株式会社スペック)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
※会場は「太融寺」交差点角の太融寺の隣、茶色いレンガ模様の9階建てのビルの8階です。1階に大阪商工信用金庫があります。ホワイティうめだの「泉の広場」M14出口を左側から出て、扇町通沿いに真っ直ぐ歩いてください。
参加費:金2,000円(高校生以下は無料、その他学生割引あり)
※オンライン式講習会のお申し込みにおいて、レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金2,500円(税込)になります
オンライン式講習会のお申し込み締め切り:7月23日の正午(午後0時)まで
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①まずはこちらのURLから「お申し込み」をクリックしてください。
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③講座当日に使用するレジュメは、ご入金確認後にレジュメデータ(PDF)をメールにてお送りさせていただきます。なお、ご入金の確認が取れない方につきましては、キャンセル扱いとなりますのでご注意ください。
<当日ご準備いただくもの>
①カメラ&マイク機能搭載のパソコン
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<ZOOMの招待状について>
ZOOMでご参加いただくためには、事務局よりお送りさせていただく『招待状』よりご入室していただく必要があります。招待状につきましては、講座前日の午後4時以降にお送りします。
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記の事務局にまでお問合せください。
<お問い合わせ先>
〒530-0051
大阪府大阪市北区太融寺町5-15梅田イーストビル8階
電話:050-3530-8995
メール:theaterspec@specgroup.jp
黒田裕樹の歴史講座事務局(株式会社スペック内)
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このため、政府は明治12(1879)年に新たに教育令を公布して学制を廃止しました。教育令はアメリカ風の自由主義を基調としており、学区の廃止や小学校の設置を町村の裁量に任せたほか、義務教育の年限を短くするなどの改正を行いました。
しかし、それまでの統制から急激な放任主義への転換がかえって教育界に大きな混乱を招いたので、翌明治13(1880)年に教育令が改正され、政府の監督が強化されました。
このような試行錯誤を経たうえで、明治19(1886)年に森有礼(もりありのり)文部大臣によって教育令が廃止され、新たに学校令が公布されました。
学校令によって、小学校・中学校・師範(しはん)学校・帝国大学などの学校体系が整備されるとともに、尋常(じんじょう)・高等小学校各4年のうち、尋常小学校の4年間が義務教育とされました。
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仏教界では、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐による大きな打撃から次第に立ち直りつつありました。浄土真宗の僧侶(そうりょ)であった島地黙雷(しまじもくらい)は、政府の大教宣布(たいきょうせんぷ)の政策に反対し、信教の自由の立場から仏教の復興を目指しました。
キリスト教は、札幌農学校を創設したクラークなどの来日した外国人教師による熱心な布教によって青年知識人を中心に広がりを見せ、内村鑑三(うちむらかんぞう)・海老名弾正(えびなだんじょう)・新渡戸稲造(にとべいなぞう)らのキリスト教思想家が活躍するようになりました。
内村らは信教の自由や人格の尊厳、あるいは神の前の平等などを唱えましたが、これらの考えは我が国における個人主義や社会主義などの近代思想や文学の発達に多大な影響を与えました。
なお、キリスト教会はその布教のかたわらに、人道主義の立場から教育・福祉活動や廃娼(はいしょう)運動にも力を入れています。
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また、陸羯南(くがかつなん)は新聞「日本」を発行し、政府による安易な欧化主義や外国人判事の任用など、欧米に妥協的な条約改正の交渉を批判しましたが、これらの考えは、対外的には欧米列強に対する我が国の独立を、対内的には国民的自由の確立を主張したものであり、国民主義と呼ばれました。
ちなみに、歴史教科書によっては徳富蘇峰らを平民的欧化主義、三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛・陸羯南らを近代的民族主義と定義しています。
この他、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は雑誌「太陽」で日本主義を唱え、我が国古来の伝統・文化・精神を重視して、国家の繁栄を目指すべきであると主張しましたが、こうしたナショナリズムは明治中期における思想界の主流となりました。
なお、杉浦重剛は皇太子時代の昭和天皇に倫理のご進講を行ったことでも知られています。また、陸羯南は正岡子規(まさおかしき)を育てたことで有名です。
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こうした流れは庶民(しょみん)の生活にまで及び、いわゆる文明開化が花開いたほか、条約改正のために鹿鳴館(ろくめいかん)を建設して、連日のように舞踏会を開くなどの欧化主義にも走るようにもなりました。
しかし、こういった古来の我が国の伝統を軽視する風潮は明治20(1887)年前後になると治まり、自国の歴史や文化に目を向けるようになりました。例えば、徳富蘇峰(とくとみそほう)は民友社(みんゆうしゃ)を設立して「国民新聞」や雑誌「国民之友(こくみんのとも)」を発刊し、政府による欧化主義を貴族的欧化主義であると批判して、平民による近代化と産業社会の建設を目指した平民主義を主張しました。
その後、三国干渉に大きな衝撃を受けるとともに国際社会の現実を知った蘇峰は、以後は国家主義へと転じ、生涯を費やした代表作である「近世日本国民史」を著しました。
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