延暦寺に大乗戒壇を設置させることに成功した最澄は、生前から「大乗戒」を盛んに主張していました。最澄は大乗戒によって「僧に対しても大乗仏教独自の戒律があっても良い」と考えたのです。
「戒律による細かいルールよりも、実質や中味を重要視する」最澄の考え方は、時代が下るにつれて「信心(=仏を信じる心)さえあれば、戒律そのものが不要である」という形に発展していきました。
そして、その流れのもとに堂々と結婚を公表し、子までなした僧が鎌倉時代に現われました。彼こそが浄土真宗(じょうどしんしゅう)の開祖である親鸞(しんらん)であり、若い頃に比叡山延暦寺で修行を経験しているのです。
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