最澄の申し出に対し、当初は快く応じていた空海でしたが、弘仁4(813)年に「理趣釈経(りしゅしゃくきょう)」の借覧を申し込まれた際、遂にこれを拒絶しました。
なぜなら、理趣釈経は「理趣経(りしゅきょう)」の注釈書であり、人間の欲望を肯定(こうてい)する教えが書かれていたからです。これをもし文字のみで読み違えれば、危険な方向に進みかねないことを空海は恐れたのでした。
そもそも、本当に密教を身に付けたいのであれば、空海の弟子になって何年も修行を重ねるのが本筋というものでした。しかし、比叡山を抱えて多忙の身であった最澄にはそれができず、やがて二人の仲は決裂してしまったのです。
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