「峰つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
厚い雲のように世界全体を巻き込んだ戦争が早く終わってほしい、という陛下の切実なお祈りのお気持ちを私たちは知ることができます。しかし、我が国は緒戦こそ勢いがあったものの、早期講和を実現させることができないまま、戦いが長期化したこともあって、徐々に劣勢に立たされていきました。
そして昭和18(1943)年5月29日には、アメリカ領アラスカ州西のアリューシャン列島の先にあるアッツ島にて日本軍が全員死亡するという、いわゆる玉砕(ぎょくさい)の悲劇が初めて起きてしまいました。
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同時に元号も「昭和」と改められました。昭和の由来は、チャイナの古典である書経(しょきょう)の「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)・協和萬邦(きょうわばんぽう)」であり、国民の平和と世界の繁栄への願いが込められていました。
昭和の新たな御世(みよ)を迎えた我が国でしたが、世界を取り巻く様々な環境の変化によって、昭和天皇の平和へのお祈りもむなしく、昭和16(1941)年12月に、ついに我が国は諸外国との対決の日々を迎えることになりました。いわゆる「大東亜戦争」の始まりです。
なお、歴史の真実を探究するには、特定の重要な事象に関して、後世の人間が勝手に名称を改めるというようなことをするべきではありません。名は体を表すと言います。「大東亜戦争」という呼び名で戦った戦争の意味は、その名でしか浮かび上がらせることはできません。従いまして、当講座では「大東亜戦争」という呼称で統一します。
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お七夜(しちや)にあたり、端午(たんご)の節句の日でもあった同年5月5日には、ご称号を迪宮(みちのみや)、御名を裕仁(ひろひと)と命名されました。「ゆたかに広く、おおらかな心で国を治め、人類の幸せのために尽くすことができるように」という願いを込めて、明治天皇がお名付けになったといわれています。
裕仁親王はお健やかに成長され、幼年期の頃から厳格な明治天皇の御前でも決してひるまれることなく、また伊藤博文などの明治の元勲が挨拶(あいさつ)に参上しても、物怖(ものお)じなさらず堂々と応対されたそうです。
明治41(1908)年に裕仁親王が学習院初等科へご入学されると、先述したように陸軍大将の乃木希典将軍が学習院院長として迎えられました。親王当時に乃木院長閣下をお慕(した)いなされた昭和天皇は、後にご自身の人格形成に最も影響があった人物として、乃木将軍の名を挙げておられます。
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血のにじむような苦難を乗り越えて短期間で近代化を成し遂げ、我が国を世界の一等国にまで成長させた明治時代と、世界を相手に大東亜戦争(=太平洋戦争)を戦い抜き、敗戦後も決して挫(くじ)けることなく奇跡の復興を実現した昭和時代に挟まれて、15年にも満たない大正時代はどうしても影が薄く、それに伴って大正天皇のご存在も、日本国民の記憶あるいは日本史の記録にもあまり残されていません。
しかし、明治天皇の皇子としてただひとり成人されて皇位を継承し、昭和天皇をはじめ4人の男子に恵まれた大正天皇のご存在こそが、皇統ひいては我が国の国体(=天皇を中心とする我が国の体制のこと)の安定的な継承を導いたことは間違いありません。
気さくで子煩悩、かつ知性あふれる大正天皇の真実のお姿が、もっと多くの日本国民に知られることを願ってやみません。
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ご即位後は全く自由が許されない、極度に多忙な日々を送られることになられた大正天皇は、山県有朋(やまがたありとも)ら元老との折り合いも悪く、ストレスが増大されたことから健康状態が再び悪化されました。
ご病状の悪化に伴い、大正10(1921)年には皇太子の裕仁親王が摂政となられると、これ以降大正天皇が政務に復帰されることはありませんでした。しかし、大正天皇は日常的に漢詩を詠まれるほどのご聡明であり、知性あふれる天皇であったと伝えられています。
なお、大正天皇が帝国議会の開院式で勅語を読み上げられた後に、お持ちの証書をクルクルと丸められ、まるで遠眼鏡(とおめがね)のようにして議場を見回したとされる「遠眼鏡事件」が知られていますが、これを事実とする一次史料はなく、信憑性(しんぴょうせい)は低いとされています。
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皇室における側室制度が法的に廃止されたのは昭和天皇の時代でしたが、側室制度自体を事実上廃止されたのは大正天皇でいらっしゃったと言えそうです。そして、貞明皇后や4人の親王様とのご家庭を大切にされた大正天皇のもとでお健やかに成長された若き日の昭和天皇にとって、ご自身がご家庭をお持ちになられた際に大きな影響をお受けになられたのも間違いないことでしょう。
ご家庭に恵まれた嘉仁親王はその後に急速に健康を回復され、有栖川宮威仁親王とともに、精力的に地方巡啓(じゅんけい、皇太子などが外出されること)を重ねられました。嘉仁親王は普段から思われたことをすぐに口にされ、行動なさるという気さくなご性格であられたため、巡啓先の関係者らを慌てさせることもありましたが、皇太子の時代から国民の人気は高いものがありました。
ただし、皇太子の度重なる大胆なご行動を快く思われなかった父君の明治天皇は、先述のとおり皇孫にあたられる裕仁親王に対してご幼少の頃から乃木希典将軍を教育係に任じるなど、英才教育を強化されておられます。
なお、嘉仁親王は明治40(1907)年に皇太子として初めて大韓帝国(当時)の地を踏まれた際に韓国皇太子との親交を深められ、お自らの意思でハングルを勉強されたとのことです。ただ、その3年後の明治43(1910)年には日韓併合が実現し、朝鮮半島は日本の支配を受けることになりました。
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その一方で、明治天皇の他の皇子あるいは皇女が相次いで幼くして薨去(こうきょ、親王などがお亡くなりになること)されたこともあり、明治22(1889)年11月に嘉仁親王が皇太子になられました。
しかし、嘉仁親王のご病弱は変わらず、明治27(1894)年に学習院を中途退学されると、以後は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王を教育係に任じて、数人の教師によって個人指導を受けられました。
その後、明治30(1897)年に満18歳で貴族院議員となられると、明治33(1900)年には貴族院議員で明治天皇の相談役を勤めていた九条道孝(くじょうみちたか)の四女である節子(さだこ)とご成婚されました。後の貞明皇后(ていめいこうごう)です。
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やがて両陛下とゆかりの深かった東京・代々木の地に神宮が建設されることが決定し、一から人工林を造営するなど、多くの国民が自発的に労働奉仕を重ねた大事業が行われた後、大正9(1920)年に両陛下はご祭神(さいじん)としてご鎮座(ちんざ)されました。現在の明治神宮です。なお、今年(令和2年=2020年)は、明治神宮創建から100周年となります。
また大正12(1923)年には乃木将軍が自刃した邸宅の隣地に乃木神社が、これも国民の熱意によって創建され、さらに昭和2(1927)年には、同じく国民の請願によって明治天皇のお誕生日である11月3日が「明治節(めいじせつ)」として祝祭日になりました。
我が国に大きな興隆と繁栄とをもたらした明治の精神は後世の人々に受け継がれ、今もなお私たちの前に光り輝いているのです。
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だからこそ、明治天皇の崩御は「明治」という一つの時代の終焉(しゅうえん)を国民に強く印象づけることとなりました。
また、陛下の崩御直後から、世界の新聞では明治天皇の治世を絶賛する記事が見られるようになり、英米などを中心に「偉人中の偉人であった」「世界の最大君主と同列に立つことを得たりし聖帝(せいてい)、いやそれ以上であった」と明治天皇を称えています。
明治天皇は我が国のみならず、世界史的スケールにおいて、どの君主にも勝る稀代(きだい)の英雄として、世界中から仰(あお)がれていたのです。
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当時の日本国民にとって、明治天皇の大喪の日であった9月13日は大いなる悲しみの一日でしたが、そのうえもう一つの大きなショックを受けることになってしまいました。なぜなら、この日に明治天皇のご信任が厚かった陸軍大将の乃木希典(のぎまれすけ)将軍が、陛下の後を追うように夫妻ともに自刃したからです。
乃木将軍は日露戦争での旅順(りょじゅん)攻略戦で多くの部下を死に追いやったことを深く自責しており、明治天皇への戦後の報告の後に自刃しようとしましたが、それを察せられた陛下から「今はその時ではない。どうしてもというのであれば、朕(ちん)が世を去りたる後にせよ」とのお言葉を賜りました。
その後の乃木将軍は、陛下より与えられた学習院長としての職責と、皇孫(こうそん)殿下(後の昭和天皇)のご教育という重責を果たし、明治天皇の崩御に接して、潔く殉死の道を選んだのです。
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