翌明治11(1878)年には各地の民権派が大阪に集まって、活動を休止していた愛国社を再興すると、明治13(1880)年3月に行われた愛国社の第4回大会で「国会期成同盟」が結成され、運動目標の中心を国会の開設要求としました。
一方、自由民権運動の激化によって、国内の治安が乱れるのを恐れた政府は、同じ明治13(1880)年の4月に「集会条例」を制定して、民権派の動きを抑えようとしました。
なお、自由民権運動を支えたのは、人は生まれながらに人間としての権利(=自然権)を持っているとする「天賦(てんぷ)人権の思想」が主であり、西洋の思想家であるルソーが著(あらわ)した社会契約論を中江兆民(なかえちょうみん)が翻訳(ほんやく)のうえ「民約訳解(みんやくやくかい)」として刊行し、世間に広めました。
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