これらのうち、元老院や地方官会議には立法府の、大審院には司法府の性格を持たせており、これらは政体書(せいたいしょ)で示されていた「三権分立」の方針に基づいていました。
元老院では、前身となる左院の頃から始められていた、憲法案の調査研究を本格化させ、明治9(1876)年から憲法草案の起草に取りかかりました。元老院での草案は、明治13(1880)年に「日本国憲按(にほんこっけんあん)」として完成しましたが、欧米列強の各国の憲法の寄せ集め的な内容であったために、採用されず廃案となりました。
我が国初の憲法草案は残念ながら日の目を見ることがありませんでしたが、こうしたエピソードは、政府が議会政治の実現や憲法制定に対して積極的であったことを物語っていますね。
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