一人ひとりは決して強くない兵力であっても、西洋の近代的な軍備と訓練によって鍛(きた)え上げたり、また人員や兵糧・武器弾薬などの補給をしっかりと行ったりすることで、士族の軍隊にも打ち勝つことが出来たのです。
逆に、政府軍に敗れた士族たちは、自分たちが持つ武力では政府を倒せないことを嫌でも思い知らされる結果となりました。西南の役の後、士族たちは反乱をあきらめるかわりに、言論の世界で政府に対抗するようになりました。
すなわち、我が国で「自由民権運動」が本格化する大きな理由となったのです。
なお、西郷の自刃と呼応(こおう)するかのように、同じ明治10(1877)年には木戸孝允(きどたかよし)が病死し、かつて西郷の盟友だった大久保利通(おおくぼとしみち)も翌明治11(1878)年に暗殺され、いわゆる「維新の三傑(さんけつ)」が相次いでこの世を去ることになりました。なお、大久保利通が暗殺された事件は「紀尾井坂(きおいざか)の変」と呼ばれています。
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