そんな中、明治10(1877)年1月に、鹿児島の私学校の生徒が火薬庫を襲撃する事件が起こると、西郷は「おはんらにこの命預けもんそ」と決意を固め、ついに同年2月に政府に反旗を翻(ひるがえ)しました。
ただし、西郷による決起は単純な「不平士族の反乱」だったのではなく、急進的な近代化にこだわるあまり、日本の伝統を粗末に扱おうとした、当時の明治政府への日本精神からの異議申し立てという面も含まれていました。
西郷の決起が九州各地の不平士族らを巻き込んだことで、我が国でも例を見ない大規模な反乱となりましたが、西郷らが熊本城を攻めあぐねている間に形勢が逆転し、追いつめられた西郷は同年9月に鹿児島で自刃(じじん)しました。
西郷によるこれらの戦いは、今日では「西南(せいなん)の役(えき、別名を西南戦争)」と呼ばれていますが、政府と不平士族とによる半年以上に及ぶ長い戦いは、我が国の歴史の流れにとって大きな意義がありました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の朝活歴史講座+日本史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。



いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。