しかし、余りに多くの案件が天皇ご自身に殺到したため、現実には中央の機関として行政や司法などの重要な政務をつかさどる記録所(きろくしょ)や、土地に関する訴訟を扱った雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)などを置かれました。なお、雑訴決断所は旧幕府の引付(ひきつけ)に相当します。
この他にも、北条氏を滅ぼした勲功(くんこう)に対する恩賞を定めた恩賞方(おんしょうがた)や、軍事や警察をつかさどる武者所(むしゃどころ)が置かれたほか、地方にはこれまでどおり国司(こくし)と守護が並んで置かれました。
また軍事面では、天皇ご自身が軍隊をお持ちでなかったため、子の護良親王を征夷大将軍に任命されたほか、旧幕府の本拠地であった関東や東北には、それぞれ鎌倉将軍府や陸奥将軍府が置かれました。
後醍醐天皇によるこれらの新しい政治は、幕府滅亡の翌年(1334年)に改められた「建武(けんむ)」という年号から「建武の新政」と呼ばれています。
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