新政府の内部では、大久保利通(おおくぼとしみち)が大坂(=現在の大阪)への遷都を主張しましたが、江戸城が無血開城となり、江戸の街が戦火によって都市機能を破壊されることなく新政府に引き渡されてからは、江戸に新首都を置くべきであるという意見が強くなりました。
江戸に遷都する理由の一つとしては、それまで幕府の本拠地として栄え、100万人以上の人口を抱える世界有数の大都市である江戸が、幕府がなくなったことで寂(さび)れてしまう危険性があったことでした。
もう一つの理由は、非常に現実的なものでした。新たに首都を定めるということは、役所などの政治システムや、商業施設などの経済システムなども新たに備えなければいけませんが、新政府には首都の機能を一からつくる資金もなければ、それだけの広い土地も我が国にはありません。
しかし、江戸には約260年間続いた幕府の組織がそのまま残っているほか、商業の流通網(りゅうつうもう)も長年のノウハウが活かされていますし、かつての武家地の面積は非常に広大で、再開発が容易であるというメリットがあったのです。
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