1.難波(なにわ)の堀江(ほりえ)を開削(かいさく)したこと
2.茨田堤(まんだのつつみ、現在の大阪府寝屋川市付近)を築造したこと
3.山背(やましろ、後の山城)の栗隈県(くるくまのあがた、現在の京都府城陽市西北~久世郡久御山町付近)に灌漑(かんがい)用水を引かせたこと
4.茨田屯倉(まむたのみやけ、屯倉とは天皇の直轄領のこと)を設立したこと
5.和珥池(わにのいけ、現在の奈良市付近か)や横野堤(よこののつつみ、現在の大阪市生野区付近)を築造したこと
6.灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、現在の大阪府南河内郡河南町付近)を掘削(くっさく)し、広大な田地を開拓したこと
7.紀角宿禰(きのつののすくね、武内宿禰=たけのうちのすくねの子)を朝鮮半島の百済(くだら)へ遣(つか)わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録したこと
国民の幸福を常に願われた仁徳天皇は、彼らが飢(う)えないように農地を確保し、また治水を行って水害を防ぐなど、その在位中に大規模な土木工事を何度も行われました。これらの大事業によって国が豊かになり、国民は天皇に深く感謝したからこそ、崩御後に巨大な陵墓(りょうぼ)をつくったのです。
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