新政府の内部では、大久保利通(おおくぼとしみち)が大坂(=現在の大阪)への遷都を主張しましたが、江戸城が無血開城となり、江戸の街が戦火によって都市機能を破壊されることなく新政府に引き渡されてからは、江戸に新首都を置くべきであるという意見が強くなりました。
江戸に遷都する理由の一つとしては、それまで幕府の本拠地として栄え、100万人以上の人口を抱える世界有数の大都市である江戸が、幕府がなくなったことで寂(さび)れてしまう危険性があったことでした。
もう一つの理由は、非常に現実的なものでした。新たに首都を定めるということは、役所などの政治システムや、商業施設などの経済システムなども新たに備えなければいけませんが、新政府には首都の機能を一からつくる資金もなければ、それだけの広い土地も我が国にはありません。
しかし、江戸には約260年間続いた幕府の組織がそのまま残っているほか、商業の流通網(りゅうつうもう)も長年のノウハウが活かされていますし、かつての武家地の面積は非常に広大で、再開発が容易であるというメリットがあったのです。
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そこで、政府は応急の措置(そち)として、五箇条の御誓文が発表された翌日の明治元(1868)年旧暦3月15日に、全国の庶民に向けて「五榜(ごぼう)の掲示(けいじ)」を公布しました。
五榜の掲示の主な内容としては、君臣や父子あるいは夫婦間の道徳を守ることや、徒党や強訴の禁止、キリスト教の禁止、外国人への暴行の禁止、郷村からの脱走の禁止など、旧幕府の政策を引き継いだものでした。
このうち、キリスト教の禁止については欧米列強の反対が強く、明治6(1873)年に廃止されましたが、これによって、我が国で「鎖国(さこく)」と呼ばれた状態が完成して以来、約230年ぶりにキリスト教が公認されたことになりました。
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三権分立制についてはアメリカの憲法を参考にしており、議政官は上局(じょうきょく)と下局(かきょく)に、また行政官は神祇官(じんぎかん)・会計官・軍務官・外国官にそれぞれ分かれていました。
議政・行政・神祇・会計・軍務・外国・刑法の各官を総称して「七官」とも呼ばれます。なお、三権分立といってもそれぞれの独立性は低く、また政体書によって高級官吏(かんり)を4年ごとに互選させるようにしていましたが、実際に行われたのは一回だけでした。
ちなみに、明治政府の組織については、この後も短い期間で次々と変更されるので注意が必要です。
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なお、御誓文の内容は、参与の由利公正(ゆりきみまさ)や福岡孝弟(ふくおかたかちか)が起草したものに、木戸孝允(きどたかよし)が修正を加えて完成しています。
五箇条の御誓文の内容は以下のとおりです。
一、広ク会議ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決スヘシ
[意味:広く会議を開いて、あらゆることを公(おおやけ)の議論の場で決定すべきである]
一、上下(しょうか)心ヲ一(いつ)ニシテ盛(さかん)ニ経綸(けいりん)ヲ行フヘシ
[意味:上の者も下の者もお互いに協力して、国家を治める政策を行うべきである]
一、官武一途庶民(かんぶいっとしょみん)ニ至ル迄(まで)各(おのおの)其(その)志(こころざし)ヲ遂(と)ケ人心ヲシテ倦(う)マサラシメン事ヲ要ス
[意味:役人や軍人、あるいは庶民に至るまで、それぞれの意志が達成できるようにし、途中で人々があきらめたり、やる気を失ったりするようなことがないようにすべきである]
一、旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ
[意味:過去のあやまった風習や弊害をやめ、何事も天地の道理たる人としての道にのっとるべきである→「攘夷をやめ、国際法に従うべきである」とも解釈されています]
一、智識ヲ世界ニ求メ大(おおい)ニ皇基(こうき)ヲ振起(しんき)スヘシ
[意味:知識を世界に求め、天皇が国を治める基礎をなすように奮い立つべきである]
ちなみに、五箇条の御誓文が発表された明治元(1868)年旧暦3月14日は、江戸で西郷隆盛(さいごうたかもり)と勝海舟(かつかいしゅう)との会談が成立した日でもあります。当時の御所は京都にありましたから、我が国の西と東で同じ日に歴史的な出来事があったんですね。
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新政府からすれば、自分たちが政治の実権を握る前に、江戸幕府が諸外国に無理やり結ばされた不平等条約など引き継ぎたくはありませんでしたが、政権が交代しても、国家間のルールをそのまま継承するのが世界の常識であった以上、やむを得なかったのです。
明治元(1868)年旧暦3月14日、明治天皇は新しい政治の基本方針をまとめた五箇条を、百官(=数多くの役人)を率いて天神地祇(てんしんちぎ、すべての神々)にお誓いされました。これを「五箇条の御誓文(ごせいもん)」といいます。
五箇条の御誓文の主な内容としては、公議世論(こうぎよろん、世の多くの人々の様々な議論のこと)の尊重や、攘夷をせずに開国和親を推進することなどが挙げられますが、これらは明治新政府にとっての「マニフェスト」でもありました。
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しかし、それまで260年以上も政治を行ってきた江戸幕府に比べ、産声(うぶごえ)をあげたばかりの新政府が、いくら優れた政策を実行しようとしたところで、果たしてどれだけの国民がついてくるというのでしょうか。
そこで新政府は、我が国の元首であり長い歴史を誇る天皇の意味について深く考え、至高(しこう、この上もなく高くすぐれていること)の権威(けんい)をお持ちの天皇の名の下で政治を行う以外に、国民をまとめると同時に彼らの支持を得る方法は無いという結論に至りました。
また、折からの「尊王攘夷(そんのうじょうい)運動」によって、皇室に対する尊敬の思いが国民の間で高かった当時の世情も、新政府を後押しする流れにつながりました。
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徳川家による江戸幕府の「大政奉還(たいせいほうかん)」から「王政復古の大号令」を経て、政治の実権を握った明治新政府でしたが、その前途は多難であり、なさねばならない課題が山積していましたが、なかでも最大の問題は「いかにして我が国の独立を守り、他国からの植民地化を防ぐか」ということでした。
明治維新が始まった頃の19世紀後半のアジアは、帝国主義を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)する欧米列強による植民地化が進んだ、いわゆる「草刈り場」のような状態であり、超大国と思われていた清国(しんこく)ですら、アヘン戦争やアロー戦争の敗北によって、香港(ホンコン)などの主要都市を諸外国の支配下に置くことを認めざるを得ないという厳しい状況だったのです。
そんな大変な時期に、我が国の命運を託された明治新政府の責任感や重圧、加えて周囲が外敵だらけという心細さは、現代の私たちには想像もつかないほど大きかったのではないでしょうか。
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考えてみれば、縄文土器は世界一古い土器ですし、また世界一古い磨製(ませい)石器も出土しているのですから、日本文明をもたらした我が国は「特別の土地」であると考えた方が自然かもしれません。
さて、我が国で初めて誕生した本格的な武家政権である鎌倉幕府ですが、将軍に任命された源頼朝をはじめとする源氏の治世は短く、まもなく部下だった北条氏(ほうじょうし)にとってかわられるようになりますが、なぜこのような「政権交代」が起きたのでしょうか。
実は、この背景には当時の武士が抱えていた「宿命」があり、また当時の天皇が「政権復帰」を目指されたという流れもありました。これらの詳細については、次回(第73回)の講演で詳しく紹介したいと思います。
(※第72回歴史講座の内容はこれで終了です。次回からは、リニューアルした通史の明治時代の更新を開始します)
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政治的権力と権威との分離が、歴史的に完全になされた地域は、地球上では西洋と我が国しかありません。東欧やロシア、そしてチャイナも、あるいは現代のチベットでさえも、こうした分離は実現できていないのです。
「権力」と「権威」とが完全に分離することによって、私たちは、政治家がどれほど偉そうなことを言っても、あるいは誰かがどれほどお金持ちになったとしても、人間の本質的な価値としては、天皇陛下や神(=God)の前では何も変わらないのだ、ということを実感できる社会を構築することができます。
「権力」と「権威」との分離はそれだけ極めて重要であり、その社会を持っている西洋や我が国は、国家あるいは国民が幸福を享受できるシステムが確立されていると考えるべきでしょう。
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さらにこの流れは、現在の日本国憲法第6条において、国家の最高政治権力者である内閣総理大臣を国家の象徴的ご存在であられる天皇陛下が任命されるという政治的システムとして活かされているのです。
ところで、我が国における政治の「権力」と「権威」との分離は、西洋文明における「教会と王権との分離」と類似しているということをご存知でしょうか。
西洋において王権が強化され、いわゆる「絶対王政」が確立したのは16世紀後半の頃からですが、それまではローマ教皇をはじめとする教会が権威と権力とを両方握っていました。しかし、16世紀初めの宗教改革をきっかけとして、教会はカトリック(=旧教)とプロテスタント(=新教)とに分裂しました。
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