元号に「令」の漢字が使われるのは我が国史上初であり、ラ行で始まる日本の元号は、南北朝時代の1338年から1342年にかけての「暦応(りゃくおう、または「れきおう」)」以来およそ680年ぶりです。また「レイ」の音が先頭に来る元号は、奈良時代初めの715年から717年にかけての「霊亀(れいき)」以来2例目で、およそ1300年ぶりとなりました。
一方、元号で「和」の漢字が使われるのは、飛鳥時代から奈良時代となる708年から715年にかけての「和銅(わどう)」以来20例目であり、直前では「昭和」に使われているため、平成を間に挟(はさ)んでおよそ30年ぶりとなります。
「令和」は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂(へんさん)された我が国最古の和歌集である「万葉集(まんようしゅう)」の梅の花三十二首の序文から引用されており、我が国の古典から元号が選定されたのは初めてです。
また「令和」には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められており、安倍晋三(あべしんぞう)首相は、令和が発表された4月1日の談話の中で「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい、との願いを込めた」と述べています。
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「日本国憲法及び皇室典範(てんぱん)特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました」。
「この身に負った重責を思うと粛然(しゅくぜん)たる思いがします」。
「顧(かえり)みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心(みこころ)を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます」。
「ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(けんさん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」。
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天皇のご譲位は江戸時代の第119代光格(こうかく)天皇以来202年ぶりで、憲政史上では初めてのことでした。また、昭和35(1960)年2月23日にご生誕された新天皇陛下は、戦後生まれの初の天皇となられました。なお、59歳2か月でのご即位は、生年月日の記録が残る8世紀後半以降の天皇では2番目のご高齢です。
新天皇陛下は同日午前に皇居・宮殿「松の間」で、皇位とともに伝わる「三種の神器」などを受け継ぐ「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」と、国民の代表と即位後初めて面会する「即位後朝見(ちょうけん)の儀」に臨まれました。
朝見の儀において、新陛下は天皇として初めてのお言葉で「象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」と述べられました。
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しかし、さしたるスキャンダルが見当たらない安倍政権に対して、一部の野党やマスコミがいわゆる「モリカケ」に代表される様々な批判を続け、首相個人のみならず、政治とは無関係の夫人すら全否定しかねない言動を繰り返すなど、常軌を逸した攻撃によって、一部の国民の中には「安倍首相は人格的に信用できない」というコメントが見られる有様です。
通常の人間ならば、ここまでのネガティブキャンペーンに耐えられるはずがありません。しかし、安倍首相はまさに「忍」の一字で踏ん張り続け、国内外において多くの制約を受けながらも、それこそ「詰将棋」のように、一歩一歩着実に真の国益を見すえた政策を実行しているのではないでしょうか。
前回(第70回)の講演でも触れましたが、ゆめゆめ「脊髄(せきずい)反射」で国を滅ぼすことなかれ。そのためにも、もっと大きな流れで歴史を俯瞰(ふかん)するとともに、一つ一つの事象を細やかに検証するという、いわゆる「木を見てかつ森も見る」姿勢で歴史を学ぶ必要があります。
歴史講座を開設して10年を迎えましたが、私は今後も「分かりやすくて楽しい、かつ国益にかなうと同時に、木を見てかつ森も見る」歴史教育の実践に努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(※第71回歴史講座の内容はこれで終了です。)
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それから約1か月半後の平成24(2012)年11月14日、国会内での党首討論において、安倍総裁は野田佳彦(のだよしひこ)首相(当時)とのやり取りの中から「(11月)16日に(衆議院を)解散する」という首相の言葉を引き出すことに成功し、一気に解散モードが高まりました。
野田首相の宣言どおり、11月16日に衆議院が解散され、翌12月16日に総選挙が行われた結果、自民党は480議席中294議席を得て圧勝し、10日後の12月26日に安倍晋三総裁が第96代内閣総理大臣に就任し、公明党との連立で第二次内閣を組織しました。
一度辞任した内閣総理大臣が再就任したのは、戦後では吉田茂(よしだしげる)以来2人目であり、自民党では初の出来事でした。また、第一次安倍内閣の総辞職以来、6年連続で首相が毎年交代してきましたが、第二次以降の安倍政権は、その後4回行われた国政選挙でも圧勝を続け、現在は第四次内閣を組織しています。
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その後、谷垣総裁が任期満了となった平成24(2012)年9月に退任を表明したため、新たに5名が総裁に立候補しましたが、その中に、かつて首相を務めた安倍晋三氏の名前がありました。
9月26日に行われた総裁選挙において、安倍氏は1回目の投票で2位となりましたが、過半数を得た候補がいなかったため、1位だった石破茂(いしばしげる)氏との国会議員による決選投票となり、108票を得た安倍氏が逆転で総裁に選出されました。
かくして、総理大臣並びに自民党総裁を辞任してから、ちょうど5年の歳月を経て、安倍氏が政治の表舞台へと返り咲いたのです。
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事実、第一次安倍内閣は教育基本法の改正に始まり、防衛庁の「防衛省」への昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下り規制などを定めた公務員制度改革など、過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた、国家の土台部分の難しい宿題を一気に前進させました。
しかし、その性急な改革が既得権者に対する深刻な恨みを買い、一部マスコミからなどの壮絶なバッシングを受けたほか、そのあまりにも偏向したネガティブキャンペーンによって、政権の「真の姿」を見失った国民の批判にさらされたのみならず、最後は自身の病気の悪化で退陣を余儀なくされるなど、まさに「刀折れ矢尽きた」状態で、安倍首相は政治の表舞台から「一旦は」姿を消しました。
ちなみに、朝日新聞が当時の政治評論家に対して「安倍政権を叩くことが社是(しゃぜ)であり、安倍の葬式はウチで出す」と高らかに宣言したというエピソードが伝わっており、マスコミの姿勢として重大な問題があると今も指摘されています。
なお、安倍首相の潰瘍性(かいようせい)大腸炎ですが、特効薬の発見によって今は寛解(かんかい)しているとのことです。
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また、昨年と今年の2回にわたって行われた、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との「米朝首脳会談」においても、トランプ大統領が両方の会談で拉致問題について触れたと伝えられています。
さて、日朝首脳会談以後の安倍氏は、平成15(2003)年に自民党の幹事長に就任すると、平成17(2005)年の第三次小泉内閣では内閣官房長官を務めるなど、着実に政治家としての実績を積みました。
そして平成18(2006)年9月20日に、小泉自民党前総裁の任期満了に伴って新たに総裁に選出された安倍晋三氏は、続く9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名され、天皇陛下に任命されました。第一次安倍内閣の誕生です。
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その後、会談の翌月となる平成14(2002)年10月に、5人の拉致被害者が一時帰国を条件に我が国に帰国しましたが、国民世論の高まりや北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称:家族会)の要望、さらには安倍晋三内閣官房副長官や中山恭子(なかやまきょうこ)内閣官房参与(当時)の働きかけなどにより、日本政府は帰国した被害者を北朝鮮へ帰すことを拒否したほか、5人の家族の帰国も要求しました。
これに対し、北朝鮮は「約束違反だ」と我が国を非難しましたが、小泉首相は平成16(2004)年5月に2度目の日朝首脳会談を行い、生存被害者5人の家族の帰国を実現させました。
なお、当初は「死亡」が伝えられた横田めぐみさんら拉致被害者8名ですが、その後に北朝鮮から渡された「死亡診断書」の内容があまりに杜撰(ずさん)だったことや、被害者のものとされた遺骨のDNAが全く異なっていたことから、めぐみさんらが「本当は生きている」ことが有力視されています。
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小泉首相は、続いて「拉致や工作船などの問題に対して誠意ある回答がない限り、正常化交渉再開はあり得ない」ことを告げましたが、これに対して金正日総書記は、ほとんど反論しなかったものの、謝罪の言葉は一切ありませんでした。
やがて正午となり、北朝鮮側の昼食会の誘いを断った日本側は善後策を協議しましたが、その際に安倍内閣官房副長官が「北朝鮮が拉致したことを認め、謝罪しない限り、安易な妥協(だきょう)をするべきではない」と発言しました。
すると、午後に再開された会談において、金正日総書記が「確かに我が国が拉致を行った。率直におわびしたい」と、これまでの主張と一変して、拉致事件の存在を認めたのです。
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