かくして、我が国は自国の安全保障をアメリカに委(ゆだ)ねるかたちとなりましたが、当初の条約は片務的(へんむてき、契約の当事者の一方のみが義務を負うこと)であり、アメリカに有利な内容でした。
例えば、我が国に駐留するアメリカ軍に日本防衛の義務がないことや、駐留軍には日本政府の要請に応じて内乱を鎮圧する権利があってもその義務がないこと、あるいは日本の意思だけでは条約を廃棄(はいき)できないことなどが規定されていたのです。
しかし、日本国憲法において事実上の非武装国と化していた我が国が、独立回復を機に米軍に撤退されれば、丸裸となった我が国が他国に侵略されるのは自明の理でした。現実問題として、我が国が現在に至るまで平和が保たれているのは、アメリカの「核の傘」に入り込むかたちとなった日米安保条約のおかげであり、決して日本国憲法第9条によるものではありません。
対等な立場での日米軍事同盟の構築を目指した我が国は、アメリカに働きかけることによって、約10年後の昭和35(1960)年に日米安保条約が改定されましたが、その際に大規模な「反対運動」が起きてしまうのです(詳細は後述します)。
※下記の映像は9月24日までの掲載分をまとめたものです。
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