しかし、中国大陸や朝鮮半島における共産主義の台頭によって、アメリカが得られた果実がほとんど存在しないという厳しい現実や、大戦末期からの米ソ対立の激化が、いわゆる「トルーマン=ドクトリン」などの対ソ封じ込め政策を招いたことによって、アメリカは「日本の弱体化」を目論(もくろ)んだ従来の方針を改めざるを得なくなりました。
アメリカは、我が国を政治的に安定した工業国として復興させるとともに、東アジアにおける自由主義陣営の防波堤として共産主義陣営に対峙(たいじ)させ、西側陣営にとっての東アジアの友好国と位置づけようとしました。
しかし、アメリカが考えた「東アジアにおける自由主義陣営の防波堤」という我が国の立場は、戦前からの本来の姿と全く同じでした。「日本憎し」という感情から、そんな我が国を自らの手で徹底的に潰(つぶ)したアメリカがわざわざ再構築しなければならなくなるという現実は、皮肉以外の何物でもなかったのです。
※下記の映像は9月12日までの掲載分をまとめたものです。
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