ソ連は1947(昭和22)年にコミンフォルム(=共産党・労働者党情報局)を結成し、ルーマニアやアルバニア・ハンガリー・ブルガリア・ポーランド・チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)など、戦後に次々と誕生した共産主義国家を従えて、東欧圏(けん)とも呼ばれる共産主義陣営を形成しました。
ソ連のこうした動きに対して、イギリスのチャーチルが1946(昭和21)年に「鉄のカーテン演説」を行い、ソ連の脅威(きょうい)に対する警戒を訴え、自由主義諸国の協力を呼びかけました。
さらに翌1947(昭和22)年には、アメリカのトルーマン大統領が「共産主義的な全体主義の拡張に対抗するには、それと戦う自由な諸国民を援助することをアメリカの政策とすべきである」と議会で述べ、自由主義陣営の中核として、ソ連の「封じ込め」を宣言しました。これを「トルーマン=ドクトリン」といいます。
また、世界で共産主義がはびこる背景の一つとして「貧困」が挙げられると判断したトルーマンは、同年6月に、ヨーロッパの経済復興資金として3年間で120億ドルもの巨額の経済援助を行うことを決定しました。これは「マーシャル=プラン」と呼ばれています。
※下記の映像は9月12日までの掲載分をまとめたものです。
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