それだけに、会場には外国のカメラマンやアメリカ兵たちがひしめき合っており、彼らによって昭和天皇はあちこち引っ張られるなどもみくちゃにされました。
しかし、陛下は全く意に介されずに社長の説明を静かにお聞きになり、また工員たちには「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」など細かくお尋ねになりました。外国人から何をされても 「耐え難きを耐え」、また口先だけとは考えられない陛下の工員たちに対するお優しいお姿に、涙が止まらない人もいたそうです。
「わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民(たみ)の心を うれしとぞ思ふ」
昭和21(1946)年のご巡幸の際における陛下の御製です。
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それだけに、陛下のご巡幸の計画を聞いたGHQも、当初は「天皇の意図が分からない」と怪しみましたが、やがて一つの確信を得るに至って、敢えて許可しました。
「ヒロヒトのおかげで、父親や夫が殺されたんだから、旅先で石のひとつでも投げられればいいのさ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男であるということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね」
「それこそが生きた民主主義の教育というものだよ」
GHQの役人たちには、昭和天皇がご巡幸によって多くの国民から無視され、蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれ、あるいは暴力をもって迎えられるといった惨(みじ)めな姿しか想像できませんでした。しかし、彼らの期待は別の意味で大きく裏切られることになるのです。
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「先の戦争によって先祖からの領土や国民の多くの生命を失い、大変な災厄を受けた。この際、私としてはどうすればよいのかと思い、退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、全国をくまなく歩いて国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」。
「このことをどうしても早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官(=宮内省の役人のこと)たちは私の健康を心配するだろうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。宮内官はその志(こころざし)を達するよう全力を挙げて計画し実行してほしい」。
今までに経験したことのない敗戦を喫して、大きく傷ついた国民を励まし、復興へ向けて立ち上がらせる勇気を持たせたい。そのためには自分の生命がどうなってもかまわない。そんな昭和天皇の崇高(すうこう)なるお考えを、GHQが理解できるはずがありませんでした。
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それなのに、マスコミや出版社の多くが「天皇が神格化を否定した」という、詔書のほんの一部に過ぎず、かつ陛下の本当のご意思とは全く異なる部分だけを取り上げて「人間宣言」ともてはやし、ついには歴史教科書にまで記載されてしまっているのです。なぜこのような誤解が生まれてしまっているのでしょうか。
さて、同じ昭和21(1946)年正月の歌会始(うたかいはじめ)において、昭和天皇は以下の御製(ぎょせい、天皇による和歌のこと)をお詠みになられました。
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞ雄々(おお)しき 人もかくあれ」
終戦直後の絶望感が漂(ただよ)う中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和天皇の国民への思いやりが込められています。
またこの頃、陛下は国民を慰めるためには自分がどうすればよいのかをお考えになり、そのための行動に移ろうとされておられました。
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ところで、この詔書の最初に、明治天皇による「五箇条の御誓文(ごせいもん)」が紹介されているのを皆さんはご存知でしょうか。詔書に五箇条の御誓文を付け加えられたのは昭和天皇ご自身のお考えであり、実はこのことこそが、陛下が詔書において本当に仰りたかったことなのです。
昭和52(1977)年、昭和天皇は記者からの質問にお答えなさるかたちで、詔書の始めに五箇条の御誓文が引用されたことについて、以下のようにお言葉を発せられました。
「それが実はあの詔書の一番の目的であり、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです」。
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「天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基(もとづ)クモノニモ非(あら)ズ」。
この文章だけ読めば、昭和天皇が自らの神格化を否定されたと見なすことも不可能ではないですが、これは詔書のほんの一部分に過ぎませんし、陛下が本当に仰りたかった内容は、実はこの文章の直前にあるのです。
「然(しか)レドモ朕(ちん)ハ爾等(なんじら)国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(きゅうせき、喜びや悲しみのこと)ヲ分(わか)タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。
陛下は常に国民とともに存在し、国民と利害を同じくして、喜びも悲しみも一緒に分かち合いたいと仰ったうえで、天皇と国民との間の紐帯、すなわち強い絆(きずな)は単なる神話や伝説によってではなく、相互の信頼と敬愛とによって結ばれているとされておられるのです。
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しかし、これをGHQの主導で無理やり行えば、日本国民の反発を招き、占領政策に悪影響となるのは確実でした。
このため、GHQは昭和天皇があくまでも「自主的」に神格化を否定することを期待したことで、その意を汲(く)んだ宮内省によって、GHQを納得させることができる詔書の作成が行われました。
こうした動きに対し、昭和天皇は元々自らが現人神(あらひとがみ)であることを否定されておられたので、特に問題には思われませんでした。なぜなら、天皇と国民とのつながりは、神格化によってのみ保たれるような弱いものではないことを、陛下ご自身が一番理解されておられたからです。
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ところで、昭和天皇は昭和21(1946)年の元日に「新日本建設ニ関スル詔書(しょうしょ)」を発布なされましたが、今日ではこれが昭和天皇による「人間宣言」とされ、自ら「天皇の神格化を否定した」と、一般に使用される教科書で紹介されることが多いですが、この表現は正しくありません。
なぜなら、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」の中に「人間」「宣言」という言葉が一切使用されておらず、さらには「人間宣言」という名称自体が、後日にマスコミや出版社が勝手に命名したものだからです。
では、なぜ私たちは「人間宣言」に対して思い違いをしているのでしょうか。その謎を探るために、そもそも「新日本建設ニ関スル詔書」が発表された経緯を振り返ってみましょう。
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終戦直後の昭和天皇のご巡幸から、昭和40年代の高度経済成長までを1回の講演で紹介するという長丁場でしたが、28ページにも及ぶレジュメを確認しながらということもあり、皆様のご理解も十分に得られたのではないかと自負しております。

次回(第68回)の歴史講座は、平成30年9月16日(日)午後3時より東京・飯田橋で、並びに9月22日(土)午後2時より大阪・梅田で「戦後史検討 その3 ~昭和から平成へ」と題し、自民党による保守長期政権がもたらした功罪や、激動の昭和の終焉と平成時代の幕開け、冷戦体制の崩壊とその後の影響などを中心に振り返る予定です。

(クリックで拡大されます)
また、今回の講演の内容は、63回に分けて8月14日よりYouTubeによる映像とともに更新を開始しますので、どうぞご期待ください。
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生産性の劇的な向上にはイノベーションが必須ですが、いくつかの既存の事柄の組み合わせを変えて、生産性の少しずつの向上を目指すことは、イノベーション無しでも、自由競争下でいくらでも「改良」によって起こし得ます。
無論、現在の課題はどうなのかはまた別に考えるべきことだというのは言うまでもありませんが、少なくとも計画経済に慣れてしまうと、旧態依然の生産にこだわり、新しい発想を嫌う傾向があります。
この流れは、世界一の軍事国家であるがゆえに極端な制限貿易を行い得たにもかかわらず、長年の平和ボケによって鎖国の状態を守ることが「祖法」であると錯覚し、西洋から大きく取り残されて強制的に開国せざるを得なかった、幕末の頃の我が国と同じであるといえるでしょう。
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(※第66回歴史講座の内容はこれで終了です。次回(8月14日)からは第67回歴史講座の内容の更新を開始します)
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