アメリカの思惑に気付いた我が国は、これに対抗する目的で、艦齢8年未満の戦艦8隻(せき)と巡洋戦艦8隻を常備すべく、八八艦隊の建造計画を推進していましたが、果てしない軍拡競争に疲れたアメリカは、やがて世界各国に海軍の軍備制限を呼びかけました。
かくして大正10(1921)年に、アメリカ大統領ハーディングが中心となって、海軍軍備制限と極東及び太平洋問題に関する国際会議がワシントンで開かれました。これは、今日では「ワシントン会議」と呼ばれています。
ワシントン会議には、アメリカや日本の他に、イギリス・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9か国が参加して行われ、我が国からは、当時の海軍大臣で後に首相となった加藤友三郎(かとうともさぶろう)を全権とする代表団が派遣されました。
この会議によって、アメリカが大きな利益を得たのに対して、我が国は第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争にもつながる国際社会での孤立を招くことになってしまうのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。
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