寺内内閣は西原亀三(にしはらかめぞう)を北京に派遣(はけん)して、袁世凱の後継となった段祺瑞(だんきずい)政権に対して巨額の借款(しゃっかん)を与えました。これを「西原借款」といいます。
借款の総額は、当時の金額で約1億4,500万円にものぼりましたが、寺内内閣がこれほどまでの巨額を北京政府に貸し付けたのは、チャイナにおける政治・経済・軍事など、様々な影響力を拡大しようとする思惑(おもわく)があったと考えられています。
しかし、その後に借款の大半が償還(しょうかん)されずに焦(こ)げついてしまったことで、我が国はほとんど成果が挙げられなかったどころか、北京政府と対立していた南方革命派の反感を買ってしまい、むしろ反日の風潮が拡大してしまいました。
西原借款は、我が国の多額の財貨を消失させたばかりか、かえってチャイナにおける反日感情を高めるという散々な結果となってしまいましたが、我が国の歴史教科書の多くが、なぜか借款が大失敗に終わったという事実を書いていません。約100年前のチャイナへの投資が、結果として我が国を苦境に陥(おちい)らせたという史実を学ぶことは、現代の中華人民共和国に対する莫大(ばくだい)な投資への「貴重かつ重要な教訓」になるはずですが…。
※下記の映像は4月19日までの掲載分をまとめたものです。
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