しかし、少しでも我が国からの干渉を逃れたいと思った袁世凱は、極秘のはずだった提案内容を外部へ漏(も)らしたほか、我が国からの提案を「要求」と捏造(ねつぞう)して、我が国の「不当」を喧伝(けんでん、盛んに言いふらすこと)しました。
これらの動きに敏感に反応したチャイナの世論が、袁世凱が「要求」を受けいれた5月9日を「国恥(こくち)記念日」としたほか、以後の排日運動の活発化をもたらしてしまいました。
しかも、こうしたチャイナの「捏造」による悪影響が、日中両国間のみならず、海外においても「欧米列強がヨーロッパ戦線にかかりきりになっていたことに乗じて、日本がチャイナに権益拡大要求を強引に押し付けた」という印象が定着してしまったのですが、その原因を中華民国とともにつくった国こそがアメリカだったのです。
※下記の映像は4月19日までの掲載分をまとめたものです。
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