なお、この場合の関東とは、旅順・大連とその付属地域を指していたことから、当地が「関東州(かんとうしゅう)」と呼ばれたほか、現地の軍隊は「関東軍(かんとうぐん)」と称されました。
一方、チャイナでは、清国による長年の専制支配に抵抗した反乱軍が次々とたちあがって、1911(明治44)年に「辛亥(しんがい)革命」が起こり、翌1912(明治45)年には、三民(さんみん)主義を唱えた孫文(そんぶん)を臨時大総統とする中華民国(ちゅうかみんこく)が成立しました。
しかし、北京において実権を握った袁世凱(えんせいがい)が、清朝最後の皇帝である宣統帝溥儀(せんとうていふぎ)を退位させて、自らが中華民国大総統に就任すると、政敵となった孫文は日本に亡命しました。
かくして、劇的な外交史が展開した明治の御世(みよ)が終焉(しゅうえん)し、時代が大正に入ると、我が国は次第に諸外国によって追いつめられていくようになるのです。
※下記の映像は4月5日までの掲載分をまとめたものです。
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