そして、我が国の将来を見据えて自主的な開国を実現しようとした田沼意次を、天災を原因とする大飢饉が起きたのを奇貨(きか)として葬(ほうむ)り去ったことで、絶好の機会を逃してしまいました。
かくして、1840年代までの我が国は、まさに「一国平和主義」を満喫(まんきつ)することに一所懸命となり、為政者も一般人も「10年後」どころか「今日の平和」を楽しむことを是(ぜ)とすることが当たり前となってしまっていたのです。
よく考えてみれば、そんな状態でペリーが来航してきたにもかかわらず、よくぞ国家存亡の危機を乗り越え、明治維新を実現させたものです。いざと言う時の我が国の底力に感謝するとともに、もし一歩道を踏み外していればどうなっていたかと思うと、私は寒気がします。
※下記の映像は2月1日までの掲載分をまとめたものです。
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