幕府は物価高を口実に貿易を規制するため、万延(まんえん)元(1860)年に雑穀(ざっこく)・水油(みずあぶら)・蝋(ろう)・呉服(ごふく)・生糸の5品を必ず江戸の問屋(といや)を経由して輸出するように命じた「五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)」を出しました。
しかし、地方で輸出向けの商品を取り扱っていた在郷(ざいごう)商人や、商取引の自由を主張する外国の反対で不成功に終わりました。
これらのことは、もし開国あるいは貿易に向けて、何年も前から入念な準備を行っていれば、そもそも発生しない問題でした。事態が起きてから対策を練るという、いわゆる後手に回ったことで対応に苦悩していた幕府をさらに困らせたのが、我が国と外国との金銀の比価の違いでした。
※下記の映像は1月24日までの掲載分をまとめたものです。
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