黒船による砲撃で我が国に危害が及ぶことを恐れた幕府は、結局ペリーの武威(ぶい)に屈して、同年旧暦3月に日米和親条約を結びました。条約の主な内容としては、
1.アメリカ船が必要とする燃料や食糧を日本が提供すること
2.難破船を救助し、漂流民を保護すること
3.下田・箱館(現在の函館)の2港を開き、領事の駐在を認めること
4.アメリカに一方的な最恵国待遇(※注)を認めること
以上が挙げられます。幕府はこの後、イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結び、200年余り続いた鎖国体制から、我が国は何の準備もなく開国して、いきなり世界の荒波に揉(も)まれることになってしまいました。
※最恵国待遇=日本が他国と条約を結んだ際に、アメリカが与えられたよりも有利な条件を他国に認めた場合、アメリカにも自動的にその条件が認められること。当時の幕府は外交知識に欠けていたため、アメリカの言われるままに一方的な最恵国待遇を認めた。
※下記の映像は1月24日までの掲載分をまとめたものです。
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