1776年に建国されたばかりのアメリカは、我が国への侵略の意図よりも、北太平洋を航海する捕鯨船の寄港地や、清国との貿易の中継地とするために、我が国と友好的な関係を持ちたいと考えていました。
そんな思惑もあって、アメリカは我が国に対して当初は紳士的な対応を行いましたが、先述のとおり、天保8(1837)年にモリソン号事件を起こされるなど、散々な目にあいました。
しかし、それでもアメリカは、弘化(こうか)3(1846)年にアメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルが浦賀(うらが)に来航し、我が国に対して平和的に通商を求めました。
もしここで幕府が通商を受け入れていれば、我が国の歴史は大きく好転していた可能性もあったでしょう。しかし、幕府は鎖国を理由にまたしてもアメリカの要求を拒絶してしまったのです。
※下記の映像は1月8日までの掲載分をまとめたものです。
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