幕府による無茶な対外政策に、渡辺崋山(わたなべかざん)や高野長英(たかのちょうえい)らがそれぞれ書物を出して批判しましたが、天保10(1839)年に幕府によって弾圧されました。この事件を「蛮社(ばんしゃ)の獄(ごく)」といいます。
その後、1840年にアヘン戦争が勃発(ぼっぱつ)し、清国がイギリスに敗れて香港を奪われると、その事実を知って慌(あわ)てた幕府は、天保13(1842)年に「天保の薪水(しんすい)給与令」を出しました。
これは、我が国を訪問した外国船に対して、食糧や燃料を与えて速やかに退去してもらうというものでしたが、確かにこの法令によって外国との無意味な衝突は避けられたものの、そんな小手先な手段よりも、我が国が自主的に開国すれば何の問題もないはずでした。
我が国と同じく厳しい制限貿易を行っていた清国は、アヘン戦争でイギリスに敗れたことで無理やり開国させられたのみならず、不平等な条約を強引に結ばされるなど散々な目にあっていました。我が国が清国と同じような運命とならないためにも、かつて田沼意次が目指したように、自主的に開国して積極的に外国と交易する必要があったはずなのです。
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