繰り返しますが、長い年月をかけておかしくなっていったものを立て直すには、やはりそれなりの年月を覚悟しなければなりません。脊髄(せきずい)反射のように焦って対応しようとすれば、それこそ井伊直弼の二の舞となってしまうのが目に見えています。
また、過去の政権による「不作為」をすべて安倍首相のせいにして、現状の不満を総理に押し付けるのもおかしな話ではないですか。現世は「おとぎ話」ではありません。一寸法師で有名な「打ち出の小づち」など、この世に存在しないのです。
もちろん、安倍政権に対する「真っ当な批判」は重要です。叱咤激励(しったげきれい)こそが我が国浮上のカギを握るでしょうが、それが政権打倒という「非難」と化しては、元も子もありません。
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戦後のGHQによる占領政策で骨抜きにされ、無理やり押しつけられた憲法を、70年以上も一字一句改正せず、そのまま「有難く使用し続けている」のは誰ですか。
安全保障をアメリカという他国に委(ゆだ)ねるのを基本路線とするのみならず、我が国のために命懸けて働いてくださる自衛隊の皆様を、憲法にも明記せずにそのまま放置しているのは誰ですか。
経済の発展のみを考えて大国になった一方で、一度バブルが弾(はじ)けただけで、まるで「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」かのように臆病になり、他の国がここ30年近くで何倍もGDP(=国内総生産)を増やしているにもかかわらず、我が国だけが横ばいの状態が続いているのを、さも当たり前にように受け止めているのは誰ですか。
そして、国民の多くが「目先の利益」のみを考え、年金問題などで目くらましを食らうと同時に「子ども手当」などという「エサ」につられ、3年3か月ものあいだ、大災害が起きても、外交問題が発生しても、株価が下がっても、異常な円高が続いても、何もしないに等しい行動しかできなかった政権を生み出したのは、一体誰ですか。
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そして、我が国の将来を見据えて自主的な開国を実現しようとした田沼意次を、天災を原因とする大飢饉が起きたのを奇貨(きか)として葬(ほうむ)り去ったことで、絶好の機会を逃してしまいました。
かくして、1840年代までの我が国は、まさに「一国平和主義」を満喫(まんきつ)することに一所懸命となり、為政者も一般人も「10年後」どころか「今日の平和」を楽しむことを是(ぜ)とすることが当たり前となってしまっていたのです。
よく考えてみれば、そんな状態でペリーが来航してきたにもかかわらず、よくぞ国家存亡の危機を乗り越え、明治維新を実現させたものです。いざと言う時の我が国の底力に感謝するとともに、もし一歩道を踏み外していればどうなっていたかと思うと、私は寒気がします。
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では、なぜ江戸幕府はここまで落ちぶれてしまったのでしょうか。その背景には、いわゆる「鎖国」の完成までは持っていた「長期的なビジョン」の欠如があります。
イスパニアやカトリックによる世界侵略の野望に気づいた秀吉は、我が国をどう守るかということを熟考し、先手を打って明を征服することを決断し、その前提として朝鮮半島へ攻め込みました。
この流れは、秀吉にかわって天下を取った家康や江戸幕府も同様であり、当時の我が国が世界最強の軍事国家であったことを背景に、極端な制限貿易を行うことで、我が国を平和に導くことに成功しました。
秀吉や家康、そして成立当初の江戸幕府が持っていたのは、いずれも「10年後」のみならず、「50年後」あるいは「100年後」の我が国がどうなっているか、という「長期的なビジョン」でした。だからこそ、「目先の敵」にはなりふり構わず攻め込むとともに、将来の平和のために、宗門改めや絵踏など、ありとあらゆる手段でカトリックを封じ込めたのです。
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明治期の外交は実にドラマチックであるとともに、それぞれが複雑にからみ合っているのですが、参加した皆様から「分かりやすかった」というお言葉をいただけたことが何よりも嬉しかったです。

次回(1月27日)は大阪講演を行います。多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。なお、会場がいつもの大阪市立総合生涯学習センターに戻りますので、お間違えのないようにご注意ください(アクセスはこちらです)。
第64回黒田裕樹の歴史講座 【大阪講演】
「日本外交史 その五」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:授業づくりJAPAN・新聞アイデンティティ
日時:平成30年1月27日(土) 午後6時30分より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,500円(高校生以下は無料)
※大阪講演と東京講演の両方に参加された場合、大阪講演の資料代は無料とします。
参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
また、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
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成立当初は「世界最高の軍事力を誇る武家政権」であった江戸幕府も、200年以上もの長い年月によってすっかり骨抜きとなり、ペリーやハリスの恫喝に言いなりになるという情けない状態と化してしまいました。
幕府の最高責任者であった井伊直弼にとって、その事実を認めることは何よりも屈辱(くつじょく)だったことでしょう。だからこそ、彼は昔年の幕府の勇姿を取り戻したかったし、幕府に対する非難も許せなかった。
しかし、彼は急ぎ過ぎたのです。200年以上かけて没落した過去の栄光を、焦るあまり1年足らずで取り戻そうとしてしまいました。これでは矛盾点が噴出し、大混乱になるのが当然です。だからこそ、彼は桜田門外の変で殺されてしまったのです。
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アヘン戦争で清国が負けて香港をイギリスに奪われたのに、オランダ国王がわざわざ開国を勧告してくれたのに、さらにはビッドルが平和的に通商を求めてきたのに、それでも旧来の祖法(といっても本当は祖法でも何でもないのですが)にこだわり、ペリーやハリスを招いたのはいったい誰でしょうか。
すべてが井伊直弼以前の幕府の政策のせいではないですか。関わり合いになるのを嫌がり、面倒なことを徹底的に避け、何もかも先送りしてきたことで、たまりにたまったツケを、当時の政治の最高責任者として、井伊直弼がすべてを払わされたのではないでしょうか。
そう考えれば、井伊直弼は「貧乏くじを引かざるを得なかった被害者」であった、という見方も成立するのです。
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しかし、これは260年以上も続いた江戸時代の歴史という「森」を全く見ていない、一方的な観点でしかないと言わざるを得ません。
なるほど、井伊直弼によって不平等条約が結ばれ、その後の我が国の近代化に大きなブレーキとなった事実は動かしがたいでしょう。しかし、それは彼一人の責任と単純に片づけられるものでしょうか。
そもそも、我が国が200年以上も「一国平和主義」という、まるでどこかで聞いたような「平和ボケ」をむさぼったのは誰のせいでしょうか。
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だからこそ、源頼朝(みなもとのよりとも)は鎌倉幕府を名実ともに成立させるために、自身が朝廷から征夷大将軍に任命されることにこだわったとともに、以後の室町幕府や江戸幕府も、頼朝の手法を継承してきたのです。
しかし、ペリーをはじめとする諸外国の勢力が大挙して我が国に現れるといった、幕末における未曾有(みぞう)の国難に際して、江戸幕府は「征夷」、つまり「夷狄(いてき、外国勢力のこと)」を「征伐」するどころか、諸外国の言われるままに不平等条約を結んでしまいました。
征夷大将軍でありながら「攘夷」を行おうともしなかったことが、幕府の権威を著しく低下させ、当時の多くの国民の失望を招くとともに、幕府の為政者としての立場を否定する結果となってしまったともいえるのです。
幕末における江戸幕府の様々な政策の失敗の歴史を知れば知るほど、私たちは「危機管理」や「将来を見据(みす)えた政策」の重要性を思い知らされるのではないでしょうか。そして、こうした幕府によるとてつもなく大きな失政のツケが、明治維新後に誕生した新政府にも、重い負担としてのしかかるようになるのです。
※下記の映像は1月24日までの掲載分をまとめたものです。
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我が国が平和的に交渉してきたビッドルに対して、問答無用で拒絶の意思を示したことが、7年後のペリーによる「黒船を前面に押し出した恫喝(どうかつ)まがいの外交」をもたらし、結果として我が国は無理やり開国させられてしまいました。
そして、何の準備もしていないのに、いきなり開国した幕府が戸惑(とまど)っている間に、アメリカなどの諸外国は、領事裁判権や関税自主権といった、外国との交易の基本となる条件を幕府が理解できない隙(すき)を突いて、まるで騙(だま)し討ちのように不平等条約を押しつけたのです。
これらはすべて、幕府による長年の「平和ボケ」がもたらした大きなツケでした。しかも、開国後の政策がすべて後手に回ったことで、諸外国に翻弄(ほんろう)された情けない姿を幕府が見せつけたことが、大政奉還(たいせいほうかん)を経て江戸幕府が滅亡するという流れを呼び込んでしまったことを皆さんはご存知でしょうか。
カギを握るのは、幕府のトップである「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」の存在の意味です。
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