この後、4月に江戸城は無血開城となり、戦いで多くの血が流されることを回避したほか、人口が100万人を超えた、世界でも最大規模の都市であった江戸とその住民を、戦火に巻き込まずに済んだことには大きな意義がありました。
なぜなら、江戸が焼け野原となり指揮系統が寸断されることで、欧米列強の軍事的介入を招くこともなく、また江戸の都市機能がそのまま残ったことによって、新政府による首都移転がスムーズに行われるようになったからです(詳しくは別の機会に紹介します)。
江戸城の無血開城の立役者は、西郷隆盛や勝海舟と一般的には言われていますが、その西郷と事前に命がけで交渉を行った、山岡鉄舟の功績も見逃せません。現実に、西郷は山岡に対して以下のような賛辞を贈っています。
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人物でなければ、天下の偉業は成し遂げられないものだ」。
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