戦い当時の兵力は、旧幕府軍が15,000名に対して、新政府軍は5,000名しかおらず、旧幕府軍は有利な戦いが出来ると思い込んでいました。しかし、いざ蓋(ふた)を開けてみれば、新政府軍の勝利に終わったのです。
新政府軍が勝利した大きな理由の一つとしては、旧幕府軍と比べて最新鋭の鉄砲などの火器が充実していたことが挙げられます。戦いはもはや兵力の多寡(たか)ではなく、いかに優れた火器を多く使用できるか、という点が重視されていたのでした。
さらにもう一つの大きな理由は、新政府軍が明治天皇から下賜(かし)された「錦(にしき)の御旗(みはた)」でした。戦場に錦の御旗が掲げられたということは、新政府軍が官軍となった一方で、旧幕府軍が賊軍、つまり朝敵(ちょうてき、朝廷にそむく敵のこと)になったことを意味していました。
そして、この厳然たる事実にもっとも敏感に反応したのが、前将軍の徳川慶喜(とくがわよしのぶ)だったのです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。