なお、総裁には有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が就任し、議定には公家の中山忠能(なかやまただやす)や前土佐藩主の山内容堂らが、参与には岩倉具視(のち議定に異動)や、雄藩の代表として、薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)や大久保利通(おおくぼとしみち)、長州藩の木戸孝允(きどたかよし、別名を桂小五郎)、土佐藩の後藤象二郎らが任命されました。
王政復古の大号令が発せられた旧暦12月9日の夜、三職による小御所(こごしょ)会議が、明治天皇ご臨席のもとで開かれました。議定の山内容堂らは、この会議に前将軍の徳川慶喜が出席できないことを抗議しましたが、岩倉具視らが受けいれないなど話し合いは紛糾(ふんきゅう)し、やがて休憩に入りました。
休憩時、岩倉は外で警備をしていた西郷隆盛に意見を求めると、西郷は「短刀一本あれば用は足りる」と答えたそうです。つまり、相手と差し違えるだけの覚悟をもてば道は開ける、と岩倉を勇気づけたのでした。
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