そもそも幕府という言葉には、中国における「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」という意味がありました。この場合、中国の皇帝は将軍に戦争をさせやすいように、戦地における徴税権や徴兵権を将軍に与えていました。
征夷大将軍も、本来は東北地方の蝦夷(えみし)を討伐するために設けられた臨時の役職でしたが、同じような権限が与えられたことで、いつしか「朝廷から独立した軍事政権を確立するための地位」と拡大解釈され、1192年に源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍に任じられたことで、軍事政権が朝廷から公認される、という扱いとなったのです。
朝廷から征夷大将軍に任じられたことで、頼朝は政治の実権を「朝廷から委任される」、つまり「朝廷から預かる」という立場となりました。この考えは後の室町幕府、そして今回の江戸幕府も全く同じですが、一度「預かった」ものは、いずれは必ず「返す」ことになりますよね。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。