さらに秀吉を驚かせたのが、ポルトガルの商人が多数の日本人を奴隷(どれい)として強制連行していた事実でした。支配地の有色人種を奴隷扱いするのは、白人にとっては当然の行為であっても、天下統一を目指すことによって、国民の生命や財産を守る義務があると自覚していた秀吉には、絶対に認められない行為でした。
イエズス会とイスパニアによる我が国侵略の野望に気づいた秀吉は、これらの事実に激怒するとともに、直ちに宣教師追放令(=バテレン追放令)を出してカトリックの信仰を禁止し、長崎もイエズス会から没収して秀吉の直轄地(ちょっかつち)としました。しかし、秀吉は権益もあって南蛮貿易そのものを禁止することはできず、結果として禁教政策は不徹底に終わり、カトリックはその後も広まっていきました。
なお、1596年にイスパニアの商船が土佐(現在の高知県)に漂着した際に、乗組員が「イスパニアは領土征服の第一歩として宣教師を送り込んでいる」ことを、世界地図を示して誇ったという出来事があり(これをサン=フェリペ号事件といいます)、激怒した秀吉が京都の宣教師と信徒を捕えて長崎で処刑するという結果につながりました(これを「26聖人殉教」といいます)。
※下記の映像は11月7日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。