「何だ、この失礼な物言いは!」
「こんな無礼で野蛮な書は、今後は自分に見せるな!」
煬帝のあまりの怒りぶりに、隋の外交官たちが震え上がった一方で、我が国からの使者である小野妹子は涼しい顔をしていました。
さて、煬帝をここまで怒らせた国書は、以下の内容で始まっていました。
「日出(ひい)ずる処(ところ)の天子(てんし)、書を日没(ひぼっ)する処の天子に致す。恙無(つつがな)きや(=お元気ですか、という意味)」。
果たしてこの国書のうち、どの部分が煬帝を怒らせたのでしょうか?
※下記の映像は6月21日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんにちは!
日没すると処の天子
の部分でしょうか^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日没すると処の天子
> の部分でしょうか^^
やはりそう思われますよね。詳しくは次回の更新で紹介します。