なぜなら、新たな統一国家である隋の誕生によって、それまで大陸の内に向けられていた巨大なエネルギーが外へ押し出されることとなり、東アジアにおける政治の情勢が微妙な状態になってしまったからです。
果たして、隋は陸続きの高句麗に積極的に攻め込むことで国力を高めようとしました。一度は隋の攻撃をはね返した高句麗でしたが、依然として危機にあることに変わりはありません。
隋の動向によっては、朝鮮半島がすべて侵略されるばかりか、我が国にも攻め寄せる可能性が十分考えられました。そうなれば、我が国は冊封体制から脱却するどころか、亡国の危機を迎えかねないという非常に難しい立場に追い込まれてしまいましたが、そんなピンチに際して、誰しもがあっと驚くような強気の外交を行った人物がいたことで、我が国は存亡の危機を回避することができました。
その人物こそが、かの有名な聖徳太子(しょうとくたいし)だったのです。
※下記の映像は6月21日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
さすがに仏法を広げようとした人物の
行動力は素晴らしいですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
これから、聖徳太子の実績をじっくり振り返りたいと思います。