「宋書倭国伝(そうじょわこくでん)」などによれば、倭王の讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)が相次いで南朝の宋や斉(せい)に使者を遣(つか)わし、朝鮮半島南部への軍事指揮権を認めてもらおうとしています。
つまり、我が国にはチャイナの皇帝の権威を借りて、朝鮮半島における政治的立場を有利にしようという思惑(おもわく)があった、ということです。
倭の五王が我が国のどの天皇にあてはまるか、ということについては様々な説がありますが、「済」は第19代の允恭(いんぎょう)天皇、「興」は第20代の安康(あんこう)天皇、「武」は第21代の雄略(ゆうりゃく)天皇だと考えられています。
※下記の映像は6月11日までの掲載分をまとめたものです。
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