卑弥呼は「鬼道(きどう)」に優れ、宗教的な権威によって国を治めており、また邪馬台国は大人(たいじん)や下戸(げこ)などの身分差があり、ある程度の統治組織や租税・刑罰の制度も整った国であったとされています。
なお、邪馬台国や卑弥呼は「倭」と同じくチャイナから見た当て字で、それぞれ「大和(やまと)の国」「日(ひ)の巫女(みこ)」がなまって伝わったと考えられています。「倭」同様、中華思想が色濃く反映されていますね。また、鬼道については様々な説があり、呪術(じゅじゅつ)や祈祷(きとう)ではないかともいわれています。
239年、卑弥呼は魏に使者を遣(つか)わすと、皇帝より「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印を授(さず)けられ、多数の銅鏡(どうきょう)などが贈られました。
※下記の映像は6月11日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
卑弥呼のルーツを初めて知りました!
そう言う意味から付けられた名前だったのですね!
勉強になりましたm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 恐らくはそうではないかと思われます。その方が語感からも納得できますよね。