奴国は現在の福岡市付近にあった小国の一つとされ、同市の志賀島(しかのしま)からは、奴国王が光武帝から授かったとされる「漢委奴国王(かんのわのなこくおう)」>と刻まれた金印(きんいん)が江戸時代に発見されています。
これらの文献や金印の発見などから、弥生中期以後に北九州から本州の各地に分立した小国の王たちは、漢王朝の先進文化を積極的に取り入れて、自らの地位を高めようとしたのではないか、と考えられています。
さて、チャイナでは220年に後漢が滅び、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国時代となりましたが、このうち北部にあたる華北(かほく)を支配していた魏に、239年に使者を送った国がありました。その国こそが、有名な「邪馬台国(やまたいこく)」です。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
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