このような環濠集落や高地性集落がなぜ広まったのでしょうか。それは、軍事的な緊張が高まったからなのです。
全国各地に大きな集落がたくさんできると、その中には、例えば収穫が少なかったりするのも出てきますから、現代のように秩序がしっかりしていなければ、大豊作で潤(うるお)っている他所(よそ)の集落をねらうなど、収穫物を求めて争うことになりますね。こうして、我が国もいつしか争いの時代に入っていくのです。
集落同士の争いは、より強い集落が周辺のいくつかの集落を統合し、さらに強大になっていく、という効果をもたらしました。強大な集落は、やがて「小国(しょうこく)」と呼ばれる政治的なまとまりと化し、こうした小国分立の状況は、チャイナの歴史書にも名を残すようになりました。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
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